私は以前から、憲法改正について、ある疑問を抱いてきました。
憲法を改正するには国会で3分の2以上多数を得て発議し、国民投票で過半数を得なければならない、ということが書いてありますが、新憲法は天皇が公布する、という条文を問題視する意見を聞いたことがありません。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
憲法96条2項です。
そうすると、天皇制を廃止する、もしくは天皇は国事行為を行わない、とする改正は不可能だということでしょうか。
理屈で考えると、まず、改正した憲法は内閣総理大臣が公布する、と改正して天皇が公布し、しかる後、天皇制を廃止すると改正した新々憲法を内閣総理大臣が公布する、ということになるんでしょうか。
二度手間ですね。
なんだかややこしい話です。
私は、天皇に基本的人権を付与する憲法改正を行わなければならない、と考えています。
選挙権や被選挙権、職業選択の自由、言論の自由、移動の自由などを国民と同様に与えるのです。
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
憲法11条です。
そうすると天皇は国民ではないことになりますね。
わが国には国民という人間の他に、天皇という人間がいるわけです。
そして天皇には11条は適用されない。
これは日本国民がこぞって天皇を差別していることになりはしませんかねぇ。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法1条です。
国民の総意なら、生身の人間を象徴に仕立て上げ、基本的人権を制限してもよいんでしょうかね。
それにしても終戦直後の日本政府及びGHQはどうしてここまで天皇制の維持にこだわったんでしょうか。
たしかに便利な支配装置だとは思います。
日本国民は天皇の名前を出すと、よく言うことを聞きますから。
錦の御旗はいつでも使えるようにしておきたいのでしょう。
しかしそのために、天皇一族を奉って、ほとんど軟禁状態のようにして一生を過ごせというのは、あんまり酷ではないでしょうか。
雅子皇太子妃殿下が適応障害を発症するのも故なしとしません。
それに後鳥羽院とか後醍醐天皇とか、時の政府を武力で倒そうとした皇族は過去に何人もいます。
2.26事件のときは、北一輝は宮城を占拠して昭和天皇を人質にし、天皇の名のもとに昭和維新を成し遂げる計画を立てていたとか。
実行部隊の青年将校たちが、何を思ったか宮城を占拠しようとせず、失敗に終わった由です。
天皇個人にそんな気はなくても、天皇を利用して暴力で政府を倒そうとする輩が出てくるかもしれません。
便利な支配装置は、権力者だけでなく、テロリストも利用したいはずです。
そうであってみれば、天皇制に便利な支配装置であることを止めて頂かなければなりません。
天皇という称号は残しつつ、国事行為はやめて、正倉院などの数多くある皇室の宝物を管理、公開する皇室博物館のようなものを作って、その管理運営にあたっていただくというのは如何でしょう。
できれば京都が良いですねぇ。
はんなりした京都弁で、マロな格好で接客してほしいですねぇ。
もちろん、職業選択の自由があるので、他の職業についていただいても、天皇を辞めても、かまいません。
私がイメージしているのは、尾張徳川家の子孫が運営している徳川美術館のような物です。
皇室が持っている宝物は尾張徳川家とは比較にならない量と質を誇っているでしょうから、千客万来間違いなしです。