壊れる左目

その他

 今日は二か月に1度の眼科受診日。

 35歳の時に疲れ目がひどくて眼科を受診し、疲れ目はドライアイのせいだということで涙の成分の目薬が出ました。
 その時眼圧やら視野やらの検査の結果、左目が初期の緑内障と診断され、眼圧を下げる目薬が一種類だけ処方されました。

 その後少しづつ症状が悪化し、そのたびに目薬が増え、今は4種類の目薬を朝晩さしています。

 現代医学では緑内障を完治させる方法は見つかっておらず、治療は進行を止める、あるいは遅らせることしかないそうです。
 これが白内障と大きく異なる点です。
 白内障は手術で驚くほど見えるようになる、と聞き及びます。
 緑内障では手術は行われないものだと思っていたのですが、今日、眼科医から手術を検討すべき段階に来ている、と言われました。
 ただし、それは進行を遅らせるためのもので、今よりも見えやすくなるわけではありません。

 大学病院を受診し、手術をすべきかどうか判断してもらえ、とのこと。
 紹介状を書いてくれました。

 今まで大学病院を受診したことなど無く、なんだか気持ちが沈みます。

 今、私の左目の視野は正常な目の4分の1しか見えていないんだとか。
 しかし、幸いに右目は症状が無いため、右目で左目を補っているので、日常生活に支障はありません。

 生きるの死ぬのという病気ではなく、あまり深刻に考えない方が良いのでしょうが、右目まで視野が欠損し始めたら、仕事を続けることは困難になるでしょう。
 そのことを考えると怖ろしい。

 私は現在51歳で、老人と呼ぶには若いと思いますが、肉体は少しづつ壊れ始めているのですね。
 そういえば最近、物忘れがひどくなってきました。
 年のせいだと言われればそのとおりなのでしょうが、壊れていく感じは嫌なものです。

 かつて山田風太郎は、「老いるということは昨日できたことが今日できなるのではなく、さっきできたことが今できなくなるということだ」と書いていましたっけ。

 20代の頃私が毛嫌いしていた、仕事から逃げて人に押しつけ、おのれは楽しそうにしている50代のおっさんの気持ちが、今なら分かります。
 何事も面倒なのですよ。

 不老不死は人類永遠の夢ですが、そんなものはあり得ないこともまた冷厳な事実。
 このうえはどこが壊れ、私の精神がどう反応するのか、じっくりと観察するほかありますまい。