夏の物語

文学

 夏というと、わが国では怪談ということになっていますね。
 エアコンも扇風機も無い時代、怖い話を聞けば寒気がして涼しくなるだろうとは、優雅と言うかまどろっこしいと言うか、今では考えられないことです。

 冷房が普及した現代日本においても、夏になると歌舞伎や寄席などでは競って怪談をかけ、テレビでも怪談めいたドラマが放送されます。

 昔のわが国の怪談は、「東海道四谷怪談」にしても「番長皿屋敷」にしても、恨みつらみというはっきりした動機がありました。

東海道四谷怪談 (岩波文庫 黄 213-1)
鶴屋 南北,河竹 繁俊
岩波書店

 

四谷怪談 [DVD]
長谷川一夫,中田康子,鶴見丈二,近藤美恵子
角川エンタテインメント

 

番町皿屋敷
岡本 綺堂
メーカー情報なし

 近頃のホラーはもっと複雑多岐になり、ホラーの中でもゾンビ物、スプラッター、サイコサスペンス、怪物物、シチュエーションスリラー、POVなどなど、多くのジャンルに分かれるようになりました。

 一方、夏の終わりを描いた小説には、どこかセンチメンタルと言うか、メランコリックと言うか、感傷的な雰囲気が漂うようです。

 晩夏の物寂しい雰囲気と、夏休みが終わってしまうという子供時代の記憶があいまって、そういうものが好まれるのでしょうね。

 必ずしも夏を舞台にした小説ではありませんが、ハインラインのSF「夏への扉」は世界中で非常に評価が高い一種のタイムトラベル物ですが、これには爽やかなストーリー展開のなかに、憂愁が感じられ、私も中学生の頃繰り返し読んだことを思い出します。

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)
Robert A. Heinlein,福島 正実
早川書房

 私にとって夏を舞台にしたメランコリックな小説といえば、村上春樹のデヴュー作「風の歌を聴け」にとどめを刺すでしょうねぇ。

 東京の大学に通う「僕」が、夏休み、実家の在る神戸でひと夏を過ごす物語です。
 地元に残った友人「鼠」としょっちゅう安いバーでビールを飲んだり、恋物語をからめたりして、青春小説の衣をまといながら、どこか愁いを帯びた物語でした。

 しかも舞台は1969年。
 政治の季節です。

 作者は団塊の世代に当たりますが、多くのその世代の作家が好んで狂乱の政治の季節を懐かしみ、全共闘運動を題材にした作品を残す中、彼はまるでそんなことは起こらなかったとでも言いたげに、個人的なストーリーを紡いできました。

 それだけに、毎年のようにノーベル文学賞候補に名前が挙がるようになってから、頓珍漢な政治的発言をするようになったのは、残念でなりません。
 政治的なことに興味を示さないのが彼の美点だと思っていましたから。

風の歌を聴け (講談社文庫)
村上 春樹
講談社

 この作品が発表された時点では、小さな佳品を描き続けるのかなと思いましたが、その後作者は長大で幻想的で本格的な小説を書く、わが国を代表するストーリーテラーに成長しました。

 それらはそれなりに面白いし、優れた作品群だと思いますが、初めて読んだ小さな佳品「風の歌を聴け」の印象が強烈で、時折無性に読み返したくなり、ウィスキーのロックなど嘗めながら、古い小説を読み返したりして感傷に浸ることを、晩夏の習慣としています。

 もう8月も下旬。
 残暑厳しいと言えども、着実に陽は短くなり、朝夕など秋めいてきました。

 この時季特有の憂愁にどっぷり浸るためにも、今日はボロボロになった文庫本でも引っ張り出してみましょうか。


にほんブログ村


本・書籍 ブログランキングへ