夢幻の城

文学

 暑さ寒さも彼岸までとか申します。
 彼岸を過ぎて、ぐっと涼しくなりました。
 季節は着実に秋、さらには冬に向かっているようです。
 私は車通勤なので、あまり暑さ寒さを感じずに済んでいます。

 しかし高校、大学と23区のなかでは田舎とも言える江戸川区から渋谷区に通学し、どちらも最寄り駅から徒歩15分ほどかかったので、夏は暑く冬は寒い、しかしだからこそ季節を感じられる日々でした。

 最近、やたらと高校、大学の時にもっと勉強していれば良かったとか、一切やらなかったサークル活動をやっておけば良かったという思いに駆られます。
 人生の重要な時期に、私はその時にしか出来なかったであろうことをやらずに、独りで幻想的で耽美的な芸術作品の中に逃げ込み、奇妙な世界で生きていたように感じます。
 永遠にそういう世界で生きられればそれが良かったのでしょうが、数年後に就職して、そんな夢のような世界で生きることは不可能で、困難でつまらぬ仕事に精を出し、時には大残業や完徹をもこなさなければならないということを思い知らされました。 

 すまじきものは宮仕えと言いますが、本当にそうですね。
 しかしすまじきものをやらなければ、収入が得られません。
 収入が得られなければ、まっとうに暮らすことが出来ません。

 私は自分独りの奇妙な世界で生きることをやめ、生活を始めました。
 それはそれで悪くは無かったと思います。

 何台も車を買い替え、4LDKのマンションを購入し、繰り上げ返済を繰り返してローンを完済しました。
 近々23年住んで古くなったマンションのリフォームを行う予定です。
 子供がいない大人二人の生活なので部屋が荒れることもないし、子供のための出費もありません。
 さらには共働きなので、収入は一人でかせぐよりも単純に言って2倍になります。
 表面的には、良い暮らしなのだろうと思います。

 しかし私の精神は激しく流転を繰り返しました。
 それは何も精神障害を発症したがゆえばかりとは言えないと思います。

 夢幻の城を失った私は、代償行為のように、まっとうに生きることを目指しました。
 本当は永遠に夢幻の世界で微睡んでいたかったのです。

 世間の人々は、私が芝居をし続けているまっとうな暮らしを良しとするでしょう。
 私もそれを否定はしません。
 しかし50代も半ばを迎えて、私の来し方は根本的に間違えていたのではないかという疑問を払拭することが出来ません。

 敬愛する与謝蕪村のように、京都の郊外に住んで浪漫的な俳句を詠んで優雅に暮らすことに漠然とした憧れを覚えます。

 江戸時代の与謝蕪村とは異なり、現代の遁世は都会の一角、小さなマンションでなければなりません。
 人込みの中に潜んでこその遁世です。
 そこで微睡んでいたいという昏い欲求を抑えることがとても困難に感じます。

 多分私が定年退職出来るのは65歳になっているでしょう。
 60歳定年であれば懲役38年、あと6年であったところ、懲役は43年に延び、残り11年になってしまいました。
 今までの社会人生活がとてつもなく長かったのと同様、これからの11年は絶望的に長いと感じます。
 過ぎてしまえばあっという間という人もいますが、私には理解できない精神性です。

 人に使われるのがどういうことか分かれば、誰もサラリーマンになることを嫌がるでしょう。
 それも何十年も。
 そうしなければ生きられないというのはとてもしんどいことです。
 そのしんどいことを、もう32年ちかくやってしまいました。

 御赦免船はまだまだ見えてきません。