夢は見るものではなく、かなえるものだ、という言説を時折耳にします。
私はこの言説に、ひどい違和感を覚えます。
私がイメージする夢とは、日がな一日温泉に浸かって過ごしたいとか、毎日凧揚げをして暮らしたいとか、釣り三昧の毎日を送りたいとか、浮世離れしたものです。
しかるに、多くの人が語る夢は、プロ野球選手になりたいだとか、流行歌手になりたいだとかいうものです。
それは夢と呼ぶにはあんまり生臭過ぎはしませんか?
それは夢と言うより、理想の職業とでも呼ぶしかないものでしょう。
純粋さが感じられません。
かつて私は小説家として売れて財を成したいと思っていました。
それはやはり、夢というよりは野心、野心と呼ぶよりは野望、さらには欲望であろうと思います。
私が今夢に描くのは、それこそ夢のように美しい耽美主義の絵画に接したり、この世ならぬ予感に満ちた小説や映画などの物語に耽溺したりして、浮世離れした美や恐怖に溺れながら、夢とも現ともつかぬ世界に浸り、現実を忘れて生きることに他なりません。
かつては私自身がこの世ならぬ物語を作るのだと、野望に燃えていましたが、それはあんまり面倒くさいことです。
この世には私が好む美と恐怖をモチーフにした物語や美術を創造する才能に恵まれたあまたの人々がいます。
私はそれらの人々が紡ぎ出す物語や、描き出す美術に触れて、ただうっとりすれば良いのです。
これ以上の快楽がありましょうや。
また、何も現代を生きるクリエーターのみならず、過去、あまりにも多くの才能豊かな人々が、鋼のごとく美しく、色褪せることのない世界を作り出してくれました。
私はそれら古典芸術を十分に堪能する時間が足りないと感じています。
私が思うのは、夢というロマンティックな言葉を、野心や欲望と一緒にして欲しくないということです。
この世も捨てたものではありません。
美しいものや、まがいものの怖しい物事がごまんと溢れているのですから。
