私が小学生だった1970年代後半、ノストラダムスの大予言という本が流行って、テレビでも特集番組がたびたび放送されました。
当時は、1999年7月に人類が滅ぶ、という予言が、恐怖をもって語られることがもっぱらでした。
1999年7の月、恐怖の大王が天から降ってくる。
彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ、その前後、マルスが正義の名のもとに世界を支配する。
うろ覚えですが、上記のような内容だったと思います。
アンゴルモアの大王という言葉が何を指すのか、今もって定説は無いようですが、マルス(火星)というのは、米国を指すとされています。
要するに何か恐ろしい事態が起きるらしいこと、その当時、米国が正義の名のもとに世界を支配している、ということが読み取れます。
恐怖の大王を、巨大隕石だと解釈したり、宇宙人だと言ったりする怪しい研究者がテレビで恐怖を煽っていましたね。
![]() | ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日 (ノン・ブック) |
五島勉 | |
祥伝社 |
小学生だった私は、1999年7月だと自分は29歳になっているのかと思い、遠い将来だと感じつつ、30歳まで生きられないのかと、本気で心配したことを懐かしく思い出します。
その後、近未来の設定で「1999年の夏休み」という、美少女ばかりが美少年たちを演じる、トランスジェンダーめいた倒錯的な映画が公開され、世紀末気分を盛り上げたりしました。
![]() | 1999年の夏休み [DVD] |
宮島依里,大寶智子,中野みゆき,水原里絵 | |
SME・ビジュアルワークス |
しかし当然、1999年7月には何も起こりませんでした。
私は深く失望しました。
何か巨大なスペクタクルを期待していたのでしょう。
その後2001年に起きた9.11テロが上の予言のことで、時制の狂いは誤差の範囲とする珍説が登場しましたが、どっちにしても人類が滅ぶことは無かったわけです。
1999年からもう18年。
テロが頻発しているとはいえ、今も人類が滅ぶ気配はありません。
このつまらない現実を、淡々と生きていくしかないのだと思い知らされた一件ではありました。
そんなことを思い返していると、来し方を振り返り、深いノスタルジアの世界に引き込まれます。
8月で48歳になりますが、私は未だ、自分が何者にもなり得ていないと感じています。
仕事は事務職なので、異動があれば一から覚えなければならないことも多く、何かの専門家にはなり得ません。
広い意味で事務の専門家なのかもしれませんが、そもそも事務の専門家という言葉そのものが言語矛盾のような気がします。
事務なんて要するに何でも屋ですから。
その時々で、例えうつ病の底に沈んでいた時でさえ、復職支援プログラムに通ったりして、最善と思われる道を選んだつもりでいます。
しかし最近、右に行くか左に行くか迷った時、私は常に誤った道を選んできてしまったのではないかという思いを強くしています。
人生なんてうまくいかない、それは事実なのでしょうが、ノストラダムスの予言に怯えていた小学生の頃、私だけはすべてがうまくいくはずだと、漠然と思っていました。
強いてうまくいったことがあるとすれば、同居人と出会い、結婚したことでしょうか。
はじめて出会った26年前、私は22歳、彼女は23歳でした。
第一印象はお互い悪いものでしたが、付き合い始めると、趣味嗜好の一致に驚いたものです。
子宝には恵まれませんでしたが、喧嘩一つすることなく、今も仲良くやっています。
かつて、「黄昏」という映画だったと記憶していますが、老いた妻に、同じく老いた夫が、「しわの一つ一つが美しい」といった意味のセリフで、互いに老いた今こそが美しいのだと、老いを称揚してみせた場面に深い感銘を受けたことがあります。
![]() | 黄昏 [DVD] |
ヘンリー・フォンダ,キャサリン・ヘプバーン,ジェーン・フォンダ,ダグ・マッケオン | |
ジェネオン・ユニバーサル |
私と同居人も、素敵で美しい老夫婦になっていきたいものだと思っています。
精神科の主治医は、何よりも今、ハッピー感を感じられているかが大切だ、と諭します。
持って生まれた気質ゆえ、ハッピー感というものはほとんど感じませんが、それが感じられるようになることをもって、良しとしなければなりませんね。
いや、それ以上のことはあり得ないのでしょう。
もはや幼い頃のように、巨大なスペクタクルを望むでもなく、分かれ道での誤りを悔いるでもなく。