大正期、日本では結婚相手を決めるのは親でした。
しかしそこに、うまい装置が働いていたことを知りました。
男の結婚平均年齢が27歳、女が23歳だというのですが、結婚式を挙げたときの平均は男が25歳、女が21歳と、結婚年齢よりも2年も早いのです。
つまり、今北欧などでみられるお試し婚が行われていたというのです。
スウェーデンではお試し婚をサムボと呼び、法律的に保護され、圧倒的多数のカップルは1年程度のサムボを経て、お互いのことをよく知ったうえで婚姻届を出すそうです。
これはもちろん、相性や生活ぶりを見極めるためです。
一方日本でかつて行われていたお試し期間は、妊娠能力があるか、農作業などの重労働に耐えれるか、夫や舅、姑に従順か、などを夫の側から妻として不足がないかを見定めるためのものであったようです。
当時の人々はこれを足入れ婚と呼んだそうです。
妻のほうから正式な結婚を拒絶することは難しかったでしょうから、言わば妻としての使用価値があるかどうかを見るもので、夫側に都合よくできていますね。
大正元年が1912年、今年が2010年ですから、約100年前のことです。
そんなに大昔ではありません。
男性のみの普通選挙が行われるようになったのが1925年、大正14年です。
この時はまだ、世界でも女性に参政権を認めない国が多かったようです。
大正というとデモクラシー。
バスガールやらタイピストやら美容師やら、多くの職業婦人を輩出し、平塚雷鳥や白蓮夫人などの恋愛を謳歌する自由な雰囲気を持った時代、と漠然と思っていました。
しかしそれはごく少数の恵まれた人々のこと。
圧倒的多数の女性は家父長制と男尊女卑の風潮に苦しめられていたのですね。
大正時代から婦人参政権運動をしていた故市川房江元議員の選挙活動を手伝ったのが、我らが偉大なる首相、仙谷、あ、間違えた、菅直人総理なんですねぇ。
時代はつながっているんだなぁ、と感慨を覚えたりして。
現在、女性に参政権がないのは、ヴァチカンとサウジアラビア。
イラン・イラクは1960年代に女性参政権を実現しています。
ヴァチカンの場合は国家というより、日本でいえば比叡山みたいなものですからまあ良いとして、サウジアラビアは女性は車の免許もとれないらしいですね。
人間の半分を占める女性に対する差別がこれほど根強いのですから、障害者や性的マイノリティー等の少数者に対する差別撤廃への道は果てしなく遠いですねぇ。
やれやれ。
![]() | 大正期の家族問題―自由と抑圧に生きた人びと |
湯沢 雍彦 | |
ミネルヴァ書房 |