大津皇子

思想・学問

 あまり知られていませんが、今日は日本古代史悲劇のプリンス、大津皇子が謀反の疑いで死を賜った日です。

 天皇家といえども古代には親兄弟入り乱れての骨肉の争いが行われており、大津皇子の父帝、天武天皇の妻で皇子の母は皇子がわずか4歳のときに亡くなっており、以来皇子は後ろ盾の少ない不安な毎日の中で成長したのです。

 しかし、学問に優れ、剣をよくし、快活で飾らない人柄は人気を呼び、朝廷で政務に連なることになりました。
 父帝、天武天皇が崩御すると間もなく、大津皇子に謀反の意あり、とのうわさが流れ、自邸で死を賜りました。

 享年24歳。

 器量は抜群と、どの歴史書にもありますから、生きていたらあの動乱の時代をどう過ごしたか、見物だったことでしょう。

ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ

 大意は、池で鳴く鴨を見るのは今日のみ、この後我れは、雲に隠れる、といったところでしょうか。
 無念の心が伝わってくる、悲しい和歌ですねぇ。

 欧州でも、中世以前、激しい権力闘争が永続し、多くの貴族や騎士が処刑されました。
 高い身分に生まれるというのも考えものですね。
 いつまでも権力を握っていられるかどうかわかりませんし、それなら日々が不安でしょう。

 私などは、下っ端の安サラリーマンなので、そういう悲劇にあうことはありません。
 下っ端が、気楽で良いですねぇ。

鷺草―大津皇子とその姉と
池田 美由喜
新風舎

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