天安門事件、あれは何だったのでしょうね。
東欧や旧ソ連で民主化が進むなか、中国人民もついに立ちあがり、中国は民主化への道を歩き始めるのだと、当時大学生だった私は直感しました。
しかし、4月頃から始まったデモは100万人規模にまで膨れ上がり、公安当局では抑えきれないと判断した当時の中国政府は、6月4日未明、人民解放軍をデモ参加者へ差し向けました。
そして未だに何人が亡くなったのかさえも判らない、自国民への大量虐殺を行ったと見られています。
戦車に一人立ち向かう白いシャツ姿の青年の姿がテレビで映し出された時は衝撃でした。
彼は戦車に踏みつぶされてしまったのでしょうか。
あるいは自動小銃でハチの巣にされてしまったのでしょうか。
事件後の厳しい報道管制によって、真相は闇の中です。
今も、天安門事件に触れることはタブー視されているやに聞き及びます。
自由主義国家群は、2010年には中国の民主化運動家、劉暁波氏にノーベル平和賞を贈って中国政府に民主化を求めるメッセージをつきつけました。
劉暁波氏は「ノーベル平和賞は天安門事件で犠牲となった全ての参加者に贈られたものだ」と語りましたね。
それに対し、中国政府は孔子平和賞なるものを突如制定し、しかも第1回受賞者の台湾の連戦元総統には表彰式への招待状が届かず、何の関係も無い少女に奇妙なトロフィーを贈っていました。
2011年の受賞者はプーチン・ロシア首相(当時)でしたが、同氏も表彰式に欠席し、ロシア人留学生が代わりに受け取ったとか。
もうそんな茶番はお止しなさい。
中国の民というのはけっこう黙っていないんですよね。
100年ほど前に辛亥革命を起こして中華民国を成立させ、第二次大戦後は国共内戦に勝利した中国共産党が中華人民共和国を作り、ほどなくして文化大革命という狂気の沙汰としか思えない蛮行に及びました。
天安門事件はそれら近現代史に見られる物言う民であった中国人が、民主化を求めて立ちあがった事件と見ることができるでしょう。
23年経って、情報革命は急激に進み、もはや言論統制を厳格に守ることは難しくなりました。
ツイッターでもフェイスブックでも、ブログでもホーム・ページでも、人々はパソコンどころかスマート・フォン一つでどこからでも情報を発信し、また受け取ることができます。
いくら中国のネット・ポリスが強力だと言っても、ネット・ユーザーの爆発的な広がりを見れば、都合の悪い記事を検索すると突然切断してしまうなんていうチマチマした方法では、とても情報を隠しとおすことは不可能でしょう。
取れる方法はただ一つ、共産党一党独裁体制を改めて、民主化することです。
そうでなければ、近いうちに、再び、大流血の惨事を見ることになるでしょう。
中国政府はそうなる前に、自ら民主化を進めなさい。
ソヴィエト連邦のゴルバチョフ元大統領がそうしたように。
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