天才と凡才

思想・学問

 世の中には常人には計り知れない実力と運を持っている人がいるんですねぇ。

 楽天の田中投手

 今年は負けなしの24連勝で、クライマックス・シリーズも最後に登場して見事に押さえました。
 その姿は威風堂々として、もう誰もマー君なんて呼べません。
 こういう人にはメジャー・リーグなどに行かず、日本プロ野球界に骨を埋めて欲しいものです。

 この人の後ろには、何万人、何十万人という、高校野球などで地元では負けなしの大投手でありながら、プロを目指した途端、広いプロ野球の世界のレベルに追いつかないと知って諦める人や、諦めきれずに30歳を過ぎてもプロ・テストを受け続ける人がいるんでしょうねぇ。
 そしてそういう人は、ある程度野球を知っているからよけい、田中投手のような人の凄まじさが分かってしまうのでしょうね。

 中途半端な才能があるというのは、不幸なことです。
 「アマデウス」サリエリを思い起こしてみれば明らかです。

アマデウス [DVD]
F・マーレイ・エイブラハム,トム・ハルス,エリザベス・ベリッジ
ワーナー・ホーム・ビデオ

 それは野球であれ、芸能であれ、芸術であれ、なんでもそうです。

 私もかつてプロの小説家を目指し、せっせと書いていたことがあります。
 仲間内では、プロになれるとしたらとびおだけだ、なんておだてられ、現に出版してくれた出版社もありましたが、世の中は広いようで、私の才能は極めて中途半端であることを知らされました。

 その上双極性障害を発症するや躁転の危険があるからと、精神科医に小説の執筆を禁じられてしまいました。

 創作するという行為は異常なことで、自分が世界を作っているような気分になって感情が高揚するというのはむしろ普通で、それが脳内麻薬を分泌せしめ、芥川龍之介「戯作三昧」滝沢馬琴に託して描いたように、三昧境を彷徨うことになります。

戯作三昧・一塊の土 (新潮文庫)
芥川 龍之介
新潮社

 つまらぬ物でも、創作している本人は神様になった気分で三昧境に遊んでいますので、出来の良しあしは、創作の快感とは関係ありません。

 ただし、三昧境から醒めれば、ひどい二日酔いの朝のような、自己嫌悪に陥ること必定です。

 だからこそ、才能が無いことに気付くわけです。

 ずば抜けた才能を持つ一部の天才を除けば、中途半端な才能は人生を不幸にするように思います。

 それならいっそ、自分は何の才能もなく、人並み程度の仕事に小さな喜びを見出して生きるのだ、と最初から思えたほうがよほど幸せです。

 少年少女は身の丈に合わない将来を夢見るもので、それはそれで年頃の幸せですが、30歳を過ぎたら諦めが肝腎であるように思います。

 世の中は圧倒的多数の凡才が支えているのですから。
 

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