正月に雑煮を食わなくなってどれくらい経つでしょう。
おそらく10年どころではありません。
同居人は雑煮が嫌いで、元旦の朝はもっぱら私が作っていました。
きちんと昆布と鰹から出汁を取り、鶏肉などを入れて醤油で味付けした、本格の雑煮です。
私はその出来に満足し、雑煮を旨く感じていました。
しかし同居人は、申し訳程度に餅を一つだけ食い、汁を啜ると早々に食事を終えるのでした。
これでは面白かろうはずもありません。
じつは私も、餅はそんなに好まないので、正月の雑煮を止めてしまいました。
毎年餅を喉に詰まらせて死ぬ愚か者がいます。
命がけで食うような代物ではあるまいと、自分に言い訳をして。
で、元旦から普通に白飯を食うようになりました。
そうなってみると、なぜあれほど力を入れて雑煮を作っていたのかと、自分が滑稽に感じられるようになりました。
雑煮食う 天魔のごとき 男らと
猫鮫先生(小説家、小林恭二の雅号)の俳句です。
様々な解釈が可能で、うら若い乙女が荒くれ男どもと雑煮を食う様子、と解く者もいれば、帰省した倅たちが雑煮をがっついて食っている、と解いた人もいます。
甚だしきに至っては、暴力団に囚われた社長が、正月だけは縄を解かれて天魔のごときヤクザ者たちと雑煮を食っている図、と解いた人があって、そこまで言われれば猫鮫先生も嬉しかろうと思います。
雑煮の起源については、私は寡聞にして知りませんが、日本人が儀式のように食してきたことは事実。
面倒だとか嫌いだからとかいう理由で止めるようなものではありませんが、わが家で雑煮を食うことは二度とないでしょう。
二度とないであろうからこそ、上出の句に接して、感慨深いものがあります。
天魔のごとき男らと食う雑煮、旨いのか、味わうこともできないほど恐ろしいのか。
雑煮を捨てた我らこそ、雑煮を食うには天魔のごとき連中に脅されない限り無理でしょう。
それならば、天魔とは、雑煮の化身か妖精でなければなりますまい。
捨てたとは言うものの、化身か妖精に促されて、私が作ったものではない、どこからとも知れず現れた旨い雑煮を、一生に一度だけ食してみたいと思うのは、わが国の民として、ふざけた料簡でしょうか。