自民党が選択的夫婦別姓よりも旧姓使用の充実を図る方針であるとのニュースに触れました。
なんででしょうね。
ことは選択制なのですから、嫌なら同姓にすれば良いだけの話で、別姓を選べないようにする理由が分かりません。
繰り返しますが、同姓にしたければそれを選べば良いのです。
現在は強制的夫婦同姓で、強制よりは選択できたほうが良いのは当たり前だと思います。
よく家族の絆が失われるなんて寝言をほざくやつがいますが、同じ名字を名乗れば家族の絆が維持されるのなら、世の中に離婚する夫婦が溢れかえっている理由が分かりません。
名字が同じかどうかなんて、家族の関係性にさしたる影響は無いものと考えます。
私はおそらく選択的夫婦別姓法案が通ったとしても、しばらくは同姓を選ぶ夫婦が多いのではないかと思います。
同調圧力というか、変人扱いされたくないというか、そういうのが働いて、様子見になるのではないでしょうか。
それはそれで良いと思います。
選択できるということが重要です。
いずれは別姓が増えていくでしょうし。
我が家は夫婦別姓が成ったとしても、同居人は旧姓に戻すつもりは無いと言っています。
結婚するとき、免許証からクレジットカードから銀行の届から戸籍から何から何まで変更して嫌になったとかで、もう一度それをやれと言われても真っ平だというわけです。
翻って考えると、強制的夫婦同姓は、男女のどちらか(多くは女性だと思いますが)がその面倒くさいことをやっているわけです。
労力の無駄です。
中には同姓になることが嬉しくて、面倒な手続きも苦にならないという人もいるでしょう。
さらに言えば、もともと庶民には名字など存在せず、全員が名字を名乗るようになった明治 初期は強制的夫婦別姓だったそうです。
皇族にも名字はありません。
夫婦同姓が我が国の伝統だという人がいますが、それは間違いです。
過ちてこれを改めざる、これを過ちと言う。
「論語」に見られる言葉です。
夫婦別姓を巡る愚かな論争を見て、孔子はどう思うのでしょうか?