失文法症

思想・学問

 失語症というのがありますね。
 意味のある言語が発声できなくなるもので、皇后陛下が時折これにかかってマスコミを騒がせたりしています。
 脳の障害により恒常的に失語症の症状を示す者、ストレスで一時的に失語症に陥る者などがあります。

 一方、失文法症なる症例があることを最近知りました。
 これは単語は話せるが、文法が滅茶苦茶というもので、例えば、私は朝食を7時に食べた、という文章を、7時、食べる、私、めしなどとしか話せないと言うものです。

 2005年に亡くなった心理学者の宮城音弥「日本人とは何か」に書かれていたものです。

 宮城音弥という人、還暦を過ぎてからいわゆる超心理学の方面に興味をもったらしく、「超能力の世界 」「神秘の世界 超心理学入門」などという著作があり、学生の頃興味深く読んだものです。
 しかもお堅い岩波新書で出版されているから驚きです。

 「日本人とは何か」は様々な観点から日本人の在り様を探っているもので、今、ちょうど半分くらいまで読み進みました。
 これも亡父の蔵書から出てきたものです。
 神秘主義や超能力を毛嫌いしていた亡父が宮城音弥の著作を持っていたことに驚くとともに、亡父の興味の幅が広かったことを思い知らされました。

 この本では失文法症について説明がなされた後、日本語という言語は元来が極めて失文法症的であるという指摘がなされていました。
 よく無口なお父さんが「風呂、飯、寝る」しか言わないなんてことが真しやかに語られますが、この三つの単語しか話さないのでは、まさしく失文法症というべきでしょう。

 女子高生の会話などを電車などで聞いていると、こちらも失文法症的です。
 「まじ?」、「うぜえ」などのぶつ切りの単語で会話し、あれでよくコミュニケーションが取れるものだと感心します。
 そういう意味では、彼女らは伝統的な日本語の話法を身につけているのだと言えるかもしれません。

 宮城音弥、原始日本語は南太平洋などで話されている言語と、モンゴルなど大陸北方で話されている言語が混合してできたのではないかと指摘し、その過程で文法に頼らぬ単語での会話がなされた名残が、現代の日本語にも残っているのではないかと指摘するにとどめ、それを実証することは不可能だとしてあくまで推測であると断っています。

 よく日本語は世界で最も詩歌に向いており、逆に世界で最も哲学や論理学に向いていないと言われます。
 また、半端な知識を持った国語教師なんかが行間を読めなんて無理目なことを言って生徒を戸惑わせたりします。

 それらの理由が、文法を重んじない失文法症を患ったゆえの日本語の特徴なんだとすれば、まことに興味深いことです。

日本人とは何か (1972年)
宮城 音弥
朝日新聞社


神秘の世界―超心理学入門 (1961年) (岩波新書)
宮城 音弥
岩波書店



超能力の世界 (岩波新書)
宮城 音弥
岩波書店


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