木っ端役人生活を続けて32年目。
給料は涙が出るほどわずかだと思っていました。
しかしそれは客観的に見て間違いであったようです。
世代にもよりますが、概ねサラリーマンの平均的な年収は500万円程度だとか。
年収1,000万円を超えるエリートサラリーマンは1割にも満たないそうです。
私たち夫婦、一人一人は低収入ながら共働きなので、世帯年収はエリートサラリーマンと呼ばれる人の1.5倍ほどになります。
これはわが国の勤め人のなかではかなり多い方らしいのですが、ずうっと自分は貧乏だという感覚が抜けません。
小遣いは平均的なサラリーマンの何倍も多いようですし、へそくりというか、家計費とは別の自分の口座にもそこそこの金が貯まっています。
それなのに、どうしても自分は最底辺を彷徨う貧乏人だという思い込みから脱することが出来ません。
一つには、私が提供している労働の対価としては収入が低すぎるという実感が新人の頃から続いていることがあるでしょう。
さらには10数年前の躁状態の時に無駄遣いをして私個人の貯金を半減させてしまったということもあるでしょう。
しかし根源的な理由は、自由になる時間が平日はほぼ皆無だという、社畜と言うのでしょうか、奴隷のように働いているという感覚が強いことが挙げられるかと思います。
奴隷が高い収入を得たところで、使う自由がありません。
私たちはそういう世界で生きています。
時間と生活を天秤にかけて、生活を選び、自ら望んで奴隷となり、奴隷として生きてきたのですから、それは自業自得と言うしかありません。
時間を捨てたことが、貧乏感が抜けない最大の理由だと思います。
しかし、奴隷根性にどっぷり毒されてしまった私は、生活を捨てて時間を取るという決断がなかなか出来ずにいます。
答えは簡単なのです。
早期退職すれば良いのですから。
その簡単なことがなぜできないのか。
話は戻って生活を捨てることが出来るのか、という話になり、永遠のループに陥ってしまいます。
多分、私は生活水準を落とさないために奴隷として生き続け、引退後、そのことを後悔し続けるのだろうと思っています。
でも仕方ありません。
30年以上奴隷を続けた私には、もう奴隷しか出来ないように思います。
中国の諺、習い、性となる、とは、誠にそのとおりだと思います。