私は今、強い退行欲求と自殺妄想にとらわれています。
私が平成9年から11年まで勤務した部署の後任は、27歳の若さで自殺しました。そのとき、私はひどいショックを受けました。前任の私に、一言相談してくれれば、あるいは、病院に行ってくれていれば、彼は今頃元気にすごしていたかもしれません。彼とは、福岡出張に一緒に行き、飲み明かした仲でもあります。死の数日後、彼の机を調べながら、上司が発した一言が許せません。
「こんなにためてたんじゃあ、死にたくもなるわなあ」
私がこの世から消えたとして、経済的に困る人はありません。
親や兄弟、友人は、一時的な悲しみにとらわれるでしょうが、時とともに忘れていくでしょう。
職場にいたっては、厄介払いができたと、内心、喜ぶかもしれません。
私は過去、何度も甘美な死の誘惑にとらわれながら、それに打ち勝ってきました。
今も、ディスプレイは涙にかすんでよく見えません。
私がなぜ今、生きているのか、わかりません。
次の診察日(20日の金曜日)まで生きていれば、きっとまた、私は愚かにも、ありもしない将来の希望をもって、生き始めるのでしょう。
しかし、それまで持たなかったら?
それは幸せなことです。
私は甘美な世界へと、旅立っていくのです。