先週、義父が80歳になりました。
大手電機メーカーで技術屋として65歳まで働き、その後は年金生活をおくっています。
毎日2時間の散歩を欠かさない、元気なおじいちゃんです。
まぁ、今どき、元気な80歳なんて珍しくもないのでしょうけれど。
それにしても、少子高齢化はどこまで進むのでしょうね。
このままではわが国は衰退してしまいます。
しかし、かつて老人を山に捨てる、姥捨という風習があったと言います。
誠に怖ろしいことですが、ある意味合理的な選択であったのかもしれません。
姥捨て伝説を描いた深沢七郎の名作「楢山節考」は木下惠介監督によって映画化されました。
雪山に一人座り、合掌する老婆と、それを見ながら悲哀に沈む中年の息子の姿が印象的でした。
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能の「姨捨」では、中秋の名月の晩、姨捨山にやってきた旅人が、かつて捨てられた老女の幽霊から事の次第を聞き、老女は美しい舞を舞います。
一般に能では、恨みを残して死んだ霊が現れ、美しい舞を見せ、旅の僧が念仏を唱え、成仏する、というのが、一種の型のようになっています。
しかし「姨捨」では、老女の霊の相手をするのは旅の僧ではなく、ただの旅人。
ゆえに老女の霊は成仏できず、一人取り残され、中秋の名月の晩だけこの世に現れる、というループのような結末になっています。
最後の地謡では、ひとり捨てられて老女が、昔こそあらめ今もまた、姨捨山とぞなりにける、姨捨山となりにけり、と謡われ、悲哀に満ちた、しかしだからこそ美しい舞台芸術に仕上がっています。
「古今和歌集」にみられる、わが心 なぐさめかねつ 更科や 姨捨山に 照る月を見て、という読み人知らずの短歌がモチーフになっていると言われます。
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そうかと思うと、山に捨てられた老女たちが山中深く共同体を作って生き残り、自分たちを捨てた村人へ復讐を画策する、という痛快なのか悲しいのかよく分からない映画が製作されています。
「デンデラ」という映画です。
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実際、姥捨ての実態は、能に見られるような、悲しくも美しい、というものではなかったでしょう。
生きている人間を、死ねとばかりに捨てるわけですから。
婉曲的な殺人と言ってよいでしょうね。
残酷な行為です。
現代、山に捨てるという行為はさすがにありませんが、孤独死、養護施設での虐待死などのニュースは珍しくもない事態になりました。
また、山に捨てるのと真逆でありながら、じつは似ていると思うのは、どんな状況になっても安楽死を認めず、何が何でも生かし続ける、というわが国の医療にも、疑問を感じます。
私が高齢者になる頃、わが国は年寄であふれかえっていることでしょう。
安楽な老後など、望むべくもないのかもしれません。
山に捨てられないだけマシだと思う他ない、というのは、不幸なことだと思います。
わが国が知恵ある政策によって、この必ず訪れる危機を、乗り越えてほしいものだと切に願ってやみません。
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