国内で初めて、15歳未満の子供の脳死が認められ、遺族の意思により、臓器が提供されることになりました。
遺族が言うには、息子は臓器移植を拒否するような意思表示はしていなかった、と頼りないことを言っています。
つまりはほぼ100%遺族の意思だということでしょう。
脳死が死と認められ、死んだけど生きている臓器を、臓器移植を望む患者に移植して患者の寿命を一定程度伸ばす。
このことに私は非常な違和感を覚えます。
脳死が人の死であることは、欧米諸国では当たり前になっているとか。
しかしわが国では、人の死をもっとゆるやかにとらえています。
息が止まって冷たくなっても、48日間はこの世とあの世の境目、中有の闇を彷徨っているとか。
脳が機能を停止したからといって、その体を切り刻むのはいかにも残酷です。
一方で、移植によって生きられる命があるのもまた事実。
命をめぐって損得勘定が始まります。
いやですねぇ。
誰かが死んだら自分が助かるなんてねぇ。
だから私は、臓器を提供しない、という意思を明確にしたカードを常に持ち歩いています。
閻魔さまの前に出て、「おめぇ、なんで心臓ないんだ?」なんて言われたくありません。
もし移植を受けなければならない患者になった場合どうでしょう。
断固移植を拒否するかどうか、矛盾しますが自信はありません。
わが身可愛さに豹変するかもしれません。
私の望みは、生体移植よりも生存率の高い人工臓器が開発され、それを使った移植手術が一般的になること。
そうすれば、誰も他人の臓器を体に入れて生き延びようとは思いますまい。
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杉本 健郎 | |
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