最近大マスコミで無縁社会やら孤独死やらを多く取り上げますね。
無縁社会はプライヴァシーの重視や個人の尊重などの新しい価値観がもたらしたもので、それ自体は悪いことではありません。
また、無縁というのは個々人の感じ方の違いで、同じ境遇にあっても平気な人もいれば無縁だ、と言って苦しむ人もいます。
客観的な無縁社会なんてありえません。
君子の交わりは淡きこと水の如し
と、「荘子」にあります。
また、
犀の角のようにただ独り歩め
と、「スッタニパーダ(原始仏典)」にあります。
人は人との交わりを減らして、己一人の内奥を探索すべきだということでしょう。
孤独は求めるもの、怖れるものではありません。
また、孤独死といいますが、孤独でない死というのはあるんでしょうか。
おそらく死に至る一定の期間孤独に苦しんだ、ということで、死そのものは孤独でしかありえないものです。
死の床に百人もの家族・親族・友人・知人が集ったところで、死が持つ本来的な孤独は解消しえないでしょう。
むしろ、こいつらは元気なのに俺だけ死ぬとはなんと孤独なことだ、と孤独感を深めるかもしれません。
死が孤独で怖ろしいものであることが自明である以上、生きている間に孤独を楽しみ、人間存在の本質的な孤独性に気づく必要がありましょう。
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