安楽死か殺害か

社会・政治

 先般、北朝鮮は偉大なる将軍様の三男を大将に据えて、世襲三代目を明確にしましたね。
 これはもはや金王朝というべきで、二十年前に滅んだ親分、ソ連でも、現在飛ぶ鳥落とす勢いの中国でもみられない、特異な権力構造です。

 歴史を見ると、自由がなくても民衆は我慢できますが、飢えには我慢できないものです。
 
 日本においても、飢餓が起きると米騒動、打ちこわし、逃散が行われ、義民、佐倉宗吾の将軍への直訴とそれによる処刑などは、歌舞伎でも演じられ、広く人気を集めています。

 ところが一部報道では、北朝鮮では1990年代から、飯が食えずに餓死する者が後を絶たないとか。
 なぜ民衆は蜂起しないのか、不思議です。
 飢えて死ぬくらいなら、蜂起して官憲に殺されてもいい、と思うのが人情ではないでしょうか。

 1989年12月、ゴルバチョフとパパ・ブッシュによって冷戦終結が宣言されてから、早いもので20年以上がたちます。
 東西ドイツは統一され、東欧諸国も次々に民主化していきました。
 その間、共産党の強権支配のもとで抑えつけられていた民族問題が再燃し、激しい戦争もおきました。
 急速な改革に民衆がついていけず、民族紛争という分かりやすいスローガンに飛びついたものと思われます。

 ゴルバチョフはここまで急進的な改革を目指していませんでしたね。
 ソヴィエト連邦や共産主義、という国体を護持したまま、緩やかな民主化を目論んでいたようです。
 いわば、コミュニズムの安楽死。

 しかしエリツィンの考えは違っていました。
 急速に民主化しようとし、ソヴィエト連邦の解体もやむなしという露骨な運動を繰り広げました。
 ソヴィエト共産主義に倦んでいた民衆は、熱狂的にエリツィンを支持しましたね。
 かつてのロシア革命を逆に回しただけの、いわばコミュニズムの殺害。
 ゴルバチョフがあの時殺されなかったのは奇跡とも言うべきで、ロシア人もロシア革命の時より大分分別がついたようです。

 ひるがえって、我が隣国、朝鮮民主主義人民共和国。
 赤い皇帝、金二世陛下は、安楽死も殺害も眼中にないようです。
 このままいけば、現体制を維持し続けて、いわば老衰に近い病死を待つより他はなさそうです。
 
 赤い皇太子、金三世殿下が北朝鮮人民の救い主となるか、あるいは断頭台の露と消えるか、隣国の運命を見守る他、私にはどうしようもできません。

冷戦終焉20年―何が、どのようにして終わったのか
塩川 伸明
勁草書房
 東大の政治学の先生が書いた本で、近い過去の出来事をエキサイティングに論述しています。


↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
素晴らしい すごい とても良い 良い