寒々しい

文学

 昨日、都内で桜の開花が宣言されました。
 これから一気に咲き乱れ、散り乱れるんでしょうね。

 この季節、多くの勤め人がそうであるように、私も苦手です。
 桜の美しさや儚さが、年度末の猛烈な忙しさと相まって、春愁の気配を感じさせ、憂愁に囚われるのです。
 春を迎えるというのに、私の心は冷えっ来ています。

 あたかも今日はお彼岸。
 実家の寺にも行きません。
 そんな気分ではありません。

 そういえば、毎年休暇を取ってでも墓参りに行っていた父の命日である3月5日、休日勤務のため、お参りしませんでした。
 実家には不義理をはたらいています。

毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは

 正岡子規の句です。

 これを私は、実際に寒いのではなく、俳人の心象風景が、寒々しい季節を見せているのだと思っています。

 これから一か月ほど、年度末そして新年度と、多忙を極めるわけですが、その時の私の心象風景も、寒々しいものだと予想しています。