寿命

文学

 おととい、私は満43歳になりました。

 私は亡くなった文学者の年齢に自分が達すると、深い感慨を覚えるという癖があります。

 二十歳を迎えたときには、「肉体の悪魔」などで著名なフランスの作家、ラディゲが亡くなった年齢に達したのだと思い、おのれの二十歳の不甲斐なさを嘆きました。
 24歳になった時には、樋口一葉が亡くなった年だと気付き、彼女の若い才能に嫉妬したりもしました。
 26歳の時には石川啄木の死を、35歳の時には芥川龍之介の自殺を想い、感慨にふけりました。

 そして43歳。

 私がわが国文学史上最も敬愛する歌人である若山牧水が亡くなった年齢に達したのだと思うと、感慨もひとしおです。

 彼は朝二合、昼二合、晩六合の酒を欠かさないという、有り得ないような大酒のみで、おそらくアルコール依存症であったと思われます。
 それだけの酒を飲みながら、頻繁に旅に出かけ、短歌雑誌を創刊し、紀行文を物し、多くの秀歌を残しました。
 死の床にあって、食い物は一切受け付けないくせに、酒だけは欠かさず、医師ももはや飲酒を止めなかったと伝えられます。

 私も酒は嫌いなほうではないので、反面教師として見習わなければなりません。

 つらつら偉大な文学者が意外に早逝しているのを見るにつけ、私は中年を迎えた今も、何者でもないということを思い知らされ、愕然とします。

 一応研究機関の事務職を20年と5カ月続けており、その間には様々な国立大学や国立研究機関で勤務しましたが、経験からくる必然的な知識や勘を身につけはしましたが、自分が一分野のプロフェッショナルになったという気がしません。
 まるで長過ぎるアルバイトを続けているような気分です。

 多分次に強く意識するのは、45歳で割腹自殺を遂げた三島由紀夫でしょうか。

 あと2年後、私は何を思うのでしょうねぇ。


肉体の悪魔 (新潮文庫)
新庄 嘉章
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