先般、19歳の無職の少年が43歳の母親を殺害してバラバラにする、という事件が世間を騒がせましたね。
少年は容疑を認め、2人で生活し、依存や憎しみ、失望感があり、それを断ち切りたかった、と供述しているとか。
近所の人の話では、仲の良い母子家庭に見えたそうです。
また、少年は、母親を殺したとき、何も感じなかった、と言っているそうです。
わが国ではかつて、殺人罪よりも重い罪として、尊属殺人罪というものが存在していました。
殺人罪で課される刑は、3年以上の有期刑、または無期懲役、または死刑です。
しかし尊属殺人罪は、自分及び配偶者の一親等の尊属、つまり親ですが、これを殺した場合、無期懲役または死刑が課される、と定められていました。
つまり親殺しは特別重い罪だというわけです。
1973年、ある尊属殺人がきっかけで、尊属殺人罪は法の下の平等を定めた憲法に違反する、との判決を下しました。
時代は下って1995年、尊属殺人罪は廃止されました。
遅きに失した感はありますが、まずは良かった。
1979年、都内有名私学に通う16歳の男子高校生が、祖母を殺害した後自殺するという事件が起きました。
自分をエリートとし、愚かな大衆を責める遺書は当時評判になりました。
その内容、文体が、まるで文学作品だったからです。
冒頭の一部を引用します。
祖母のみにくさは筆舌につくしがたい。そのみにくさは私への異常な愛情から来ている。
つまり私をあまりに愛しているがゆえに私が精神的に独立し、これまでの幼児期のように自分の言うままにならず自分の影響範囲から離れていってしまうのがいやなのである。ここまではただいやらしいだけだが、祖母が私の精神的独立を妨害し、自分の支配下におこうとするための、さまざまな工作は、もういやらしいなどという段階を越えている。
私はこれを、文学として読みました。
話は変わりますが、全国の大学教員に学生に読んでもらいたい文学作品をアンケートしたところ、ドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が第一位に選ばれました。
私はロシアの小説は無駄に長く、あまり得意ではありませんが、「カラマーゾフの兄弟」は面白くて一気に読了しました。
ロシアの過酷な風土を背景に、様々なエピソードをもとに哲学的な命題が描かれながら、松本清張の推理小説を読むような、エンターテイメントの作品として楽しむこともできる、優れた小説です。
ここでも若さゆえの魔術的思考が語られます。
1979年の祖母殺しにしても、このたびの母親殺しにしても、未熟さゆえに魔術的思考に陥り、その思考を信じ込み、凶行に及んだものと思われます。
近親憎悪という言葉があるとおり、特に思春期の男の子は、未熟な魔術的思考に陥り、その信念に従って凶暴な行動に出ることがあるものです。
私もまた、思春期の頃、魔術的思考に陥った経験がありますが、幸いなことに、世を憎んでも、近親者を憎悪しても、それをストレートに行動に移すことはあまりにも愚かであり、自分にとって不利益にしかならない、という程度の常識は失わずに済みました。
今では、精神の奥の奥に、思春期の残滓のような魔術的思考を残しながら、社会の常識に従い、擬態して生きる全ての勤労者に泣けてくるほど深い共感と同情を覚えます。
そういう人々によって、この世はうまくまわっていくわけですから。

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