北海道で高校三年生の少年が自宅に火をつけ、妹の16歳の少女が亡くなったそうですね。
少年は取り調べに対し、家族に馴染めなかったとか、内向的な性格になったのは家族のせいだ、とか言っているようです。
この種の事件は昔から後を絶ちません。
私が記憶しているところでは、進学校に通う高校生が自意識を肥大させ、かつて依存していた祖母を殴り殺し、自殺する、という事件が80年代前半にありました。
家庭内暴力とか校内暴力とかが80年代には流行りました。
20年前までは殺すのは子どもで殺されるのは親や兄弟と決まっていたのですが、近頃は子を殺す親も現れて、親子で殺し合いなんていう怖ろしい事態が出来しています。
永井豪の漫画に「ススムちゃん、大ショック」という作品があり、子への愛情を多くの親が失くし、あっちこっちで児童虐待や殺害が起こる、というSFで、私は震えあがりました。
そんなことが、わが国で起き始めているようです。
高校生や中学生の少年というのは、昔でいえば元服したすぐ後くらいで、大人と見なされるべき存在です。
それを子ども扱いするから、親がどうちゃら、大人がどうちゃら、学校がかんちゃら、管理がなんちゃら、と被害者意識を募らせて爆発してしまうのでしょうね。
動物でいえば巣立ちの時期にきているのに、親元で良い子でいるのはさぞかし窮屈でしょう。
そんな子には擬似的な自立を経験させたらどうでしょう。
どんなに子どもに見えても、中学入学と同時に、親は子どもに対し、これから大人に準じて扱うからそう思え、と言って何事も自立させるように仕向けるべきでしょう。
その代り、小学校まではある程度厳しくしつけなければなりません。
ただし、しつけの際には絶対に体罰を加えないこと。
体罰では恐怖の感情を植え付けることしかできず、性格がいじけてしまいます。
それどころか、親に復讐してやろうと、憎しみを増加させるかもしれません。
理性的に、しかし気迫をもって事の善悪や理非を説き、それは一度きりにして、後は何事もなかったかのように接しましょう。
そして何事も褒めること。
それと、子どもに感謝の意を表すこと。
家事を手伝ってくれたらありがとうと言いましょう。
そして中学入学と同時に、大人と同じように接し、家庭内のことには意見を求めるようにし、家庭内での役割を与え、それをこなしたら褒め、さぼっても叱らず、放っておきましょう。
例えば皿洗いが役割だったら、どれだけ溜まっても、放っておきましょう。
大人は役割を果たさなければ生きていけないのですから。
でも結局、教育とは空しいもので、犯罪を犯すやつは犯しちゃうんですよねぇ。
だからこそ警察があり、刑務所がなくならないのですよねぇ。
子どもがいない私が言っても説得力はないでしょうねぇ。
子どもなんて、こう育てたからこうなる、というものではなく、持って生まれた性質が8割くらいでしょうから、社会人として普通に生きていけるようになれば、上出来じゃないでしょうかねぇ。
切れた糸―永井豪自選作品集 (角川ホラー文庫) | |
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