渋谷の東横のれん街で、74歳の老女が61歳の女に突然切りつける、という嘘のようなニュースに接しました。
老女は福岡の精神病院に入院しており、知人と会うため外泊許可を得て上京したそうです。
老女曰く、「じろじろ見られて腹が立った」そうで、なぜ刃物を所持していたかについては、「何かがあった時に戦うため」だそうです。
どういう病名で入院していたのか知りませんが、こういう事件が起こると、精神障害者への差別が助長されるので困ります。
気違いに刃物、とは言いますが、そのまんまですねぇ。
ちなみに気違いというのは差別語だそうで、以前、小説でこの言葉を使ったら、編集者から書き直しを命じられました。
例えば障害者手帳。
身体障害者手帳には、身体障害者手帳と明記されていますが、精神障害の場合、障害者手帳としか書かれていません。
別に隠しだてするようなことではありますまい。
しかも最近、害の字の語感がよろしくないということで、障がい者と書こうと言っている人々がいます。
馬鹿馬鹿しいですねぇ。
言葉を隠したって、実体は変わりません。
盲とか言ってもだめで、目の不自由な人と言え、とか、士農工商サラリーマンとか言うのも駄目で、片手落ちとかめくら判とかいうのも駄目。
するとブサイクは顔の不自由な人で、デブは体重の不自由な人、ですか。
言葉そのものに差別が内在しているわけではありません。
その言葉を使う時の状況や使う人の意識によって、それは差別的になるのです。
例えば褒めるつもりでモデルさんみたいね、と言ったら、当の本人はやせぎすなのを苦にしていて、傷つくかもしれません。
赤面恐怖症の人に顔色が良い、と言ったら、顔が赤いのを馬鹿にされた、と思うかもしれません。
言葉というもの、あれとこれを区別するために生まれたもので、あれが良いと思っていればこれは差別的になり、逆であればあれは差別的になります。
つまり言葉というものは、どんな言葉であれ、程度の差はあっても、すべて差別的なのです。
昔筒井康隆が、「差別語辞典」を作ったら「広辞苑」よりも厚くなる、と警告したのは、慧眼と言わなければなりません。
この記事にはたくさんの、所謂差別語が記されています。
もしこの程度の記事さえ差別語が多いゆえに出版社を通すと発表できないのだとしたら、わが国の言論をめぐる状況は、極めて貧困であると言わざるを得ません。
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上原 善広 | |
新潮社 |
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