管総理は日本で最初の市民活動家出身の総理だそうですね。
市民といっても、A市に居住するA市民というのではなく、広く様々な活動をする庶民、というほどの意かと思いますが、この市民活動をする主体というのがなんとも怪しげです。
住民運動の場合、特定の地域の利害をめぐって住民が運動するのでしょうが、市民活動というのはあまりにも幅が広く、中には過激な団体の隠れ蓑になっている場合があるから注意が必要です。
また、市民活動といっても、実際の市民の意見を代弁しているわけではなく、いわゆるうるさい少数(Noisy Minority)である場合が多く、その活動の公益性には疑問符がつきます。
当然、選挙に出て当選しないかぎりは民意を反映しているとは言えませんから、純粋に市民活動だけしている人というのは代表性を持ちません。
すると結局のところ、市民活動家というのは、イメージの中に存在する幽霊のようなものです。
ただし、この幽霊が国民の間に出没し、時として世論操作を試みることがあるので厄介です。
それに比べて、民族派とか右翼とか呼ばれる人々、及び革マルとか中核派とか左翼とか呼ばれる人々は、結社を作り、政治活動や破壊活動をするので分かりやすい存在です。
しかし私は、間が抜けた軍隊みたいななりをして大きな車で軍歌などを大音量で流して町の静寂を乱したり、日の丸を振りかざして通行を妨害する人々が民族派を自称するのは、じつに滑稽だと思います。
よく国家主義と民族主義とが混乱して使われますが、国家主義は国家を至上とする政治思想で、錦の御旗は天皇でもマルクスでも鰯の頭でも、国民をまとめられればなんでもいいわけです。
民族主義というのはその民族が大事にしてきた文化や精神風土を至上と考える人々で、政治運動というよりは芸術運動です。ドイツロマン派とか日本浪漫派などの伝統回帰運動が代表的ですね。
右翼というのは民族主義を錦の御旗にたてた国家主義運動でしょう。
そして共産主義というのはほとんどが国家主義に傾きますので、左右どちらに転んでもたいして変わりはないということで、左右をころころまわる人が出てくるわけです。転向とか言いますね。
それなら市民活動家は?
安倍元総理は菅内閣を本格的左翼政権と呼びましたが、左翼っぽいスパイスは効いているにしても、本格的ではないでしょう。
天皇制廃止とか革命とかは言いませんし。
私は要するに、権力志向ではないかと思います。
市民活動というのは、権力もない、お金もないなかで、手弁当で行う善意の活動、というイメージがつきまといます。
すると当然、無い物ねだりが始まります。
まして自社さ政権で与党の旨味を味わってしまった菅総理ですから、そのおいしさをもう一度、と思うのは政治家の本性ともいうべきでしょう。
しかし実際に権力を握ったら、何をしていいかわからない、というところではないでしょうか。
細川元総理が官僚に「私は何をしたらいいですか」と馬鹿正直に聞いてしまったとは、有名な話です。
お前が指示しろ、と突っ込みたくなったのは私一人ではありますまい。
今のところ民主党政権は、何もしていません。
事業仕分けなんて、政治家が出張ってくるほどの仕事ではない、重箱の隅をつつくような話ですし、高速道路無料化実験や子ども手当やら、しょせんは金の話です。
外交・防衛や教育、経済産業などの重要案件では、場当たり的に綱渡りを続けているだけで、そこには柱となるものが見受けられません。
これだけはやり通す、というような鮮明なヴィジョンを示してほしいものです。
菅直人総理が歴史に名を残すような名宰相へと変貌していくであろう近い未来に期待しています。
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