平和

社会・政治

 今日で東京大空襲から70年。
 はるか昔のように感じますが、今も健在の義母は、幼児の頃、本所で空襲の被害にあっています。
 私の実母は、やはり幼児の頃、長崎で被爆しています。

 昔のことのようでいて、私の親の世代はそれを現実に体験していることを思うと、それほど遠い昔ではないのかもしれません。

 戦後、わが国の言論空間は奇妙な股裂き状態が続きました。

 同じように戦争の惨禍を経験した人々が、一方は軍事力を保持する必要はない、それは戦争への道だと、絶対平和主義を唱えました。
 それは少数派だったと思いますが、うるさい少数、いわゆるノイジィ・マイノリティであったため、その主張はマスコミに大きく取り上げられました。

 一方、国を守るためには軍事力は必要で、それこそが戦争を抑止する方法だと考える多数派は、静かな多数、いわゆるサイレント・マジョリティであったため、言論空間だけをみれば、まるで互角の勢力であるかのように感じさせられました。

 軍隊を持たず、それで平和が保たれるなら、こんな良いことはありません。
 軍事費を使わずに済みますし。
 兵隊を養わなくて済みますし。


 しかし、世界中に武装している国家群がひしめいている中で、軍隊を持たないというのはあまりに危なっかしいことですし、平和の維持をあなた任せにすることは、国家のもっとも重要な仕事である、国民の安全を守るということを放棄していることになり、そんな危険な国には住みたくありません。

 某ニュース・キャスターが、絶対平和主義の立場から、保守派のコメンテーターに、「一体どこの国が日本を攻撃するというのですか」と噛みついているのを見たことがあります。

 なるほど、今日・明日、わが国を攻める国は存在しないでしょう。
 しかし5年後、10年後、さらには100年後、世界はどうなっているか分りません。
 攻撃されてから武力を整備するというのでは、到底間に合いません。
 国土を蹂躙されるだけです。

 軍隊は力を誇示することで周辺国の野心を砕き、現在の戦争を阻止するとともに、遠い将来あるかもしれない武力紛争に備えるということが主たる役割だと言えるでしょう。

 冷戦下、米ソは激しく対立しながら、代理戦争はべつにして、ついに直接戦火を交えることはありませんでした。
 あれこそ、互いが相手の軍事力に恐れをなして手出しができずに保たれた平和と言えるでしょう。

 人間なんて猿より毛が3本多いだけの愚かな生き物。
 ちょっとしたきっかっけで戦は始まってしまいます。

 ただし、人間は猿より損得勘定に秀でています。
 戦を仕掛けたら大きな損害を被るかもしれないと思わせるだけで、平和の維持に役立つことは間違いないでしょう。

 東京大空襲で被害にあわれた方々の冥福を祈るとともに、決して勝てない戦争に突入するような愚は犯してはならないし、他国がわが国を攻撃することを躊躇するような十分な軍事力を保持しなければならないと痛感します。  

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