平安遷都

思想・学問

 今日は日本のみやこが長岡京から平安京へ遷された日です。

 時代は桓武天皇の御代。

 最澄が天台宗を興し、空海が真言宗を興し、華やかな王朝文化の幕開けを担う代であり、東北地方の蝦夷と言われた土着民と戦うため、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じて、東北の民と血みどろの戦に明け暮れた時代でもあります。
 また、「続日本紀」(しょくにほんぎ)を編纂した時代でもあります。

 わが国が日本国家としてようやく形を整えたころといったら言い過ぎでしょうか。

 平安遷都後、鎌倉に幕府ができるまで約400年、平安京に王朝貴族の文化が花開きました。
 明治維新で江戸が首都と決まり、東京と改名されるまで、名目上は京都が日本のみやこでしたね。
 京都の人は今も本当のみやこは京都であり、東京都なんて坂東の荒れ地で鬼や化け物が住む所だ、と本気か嘘か言い張る人がいます。
 それはそれで大したプライドですねぇ。
 あと、今の皇居は江戸での仮御所であって、本当の御所は京都御所であり、明治以来長い旅に出ているのだ、という人もいます。

 徳川様の居城であった江戸城の跡地に天皇家が住まうというのは天皇家の方々もさぞ御気分が悪かろうと思いますから、この際、京都御所にお帰りになったらいかがでしょう。

 国事行為とか外国の賓客の接待とか、そういう面倒な仕事からは解放してさしあげて、京都で歌を詠んだり蹴鞠に高じたり、牛車で姫の邸に夜這い(呼び合い)をかけたりして、失われた皇室の美しい伝統を取り戻していただくのです。 

 そしてどこか田舎の野っぱらに新しい街をつくって首都機能を移転したらよいのです。
 そうすれば東京一極集中も少しは緩和されるでしょう。
 あの人ごみが嫌で私は東京脱出を図ったのですから。

 桓武天皇がみやこを遷したとき、どんな思いで新都、平安京を眺めたのでしょうね。
 今では千年の都といわれ、世界遺産にも登録された京都の古い建築や街並み。
 せっかく空襲を喰らわずに済んだのですから、もう少し京都らしい古い街を保存できなかったのでしょうか。
 京都駅に降りて最初に思うのは、京都といえど駅前はどこの都市とも同じような新しくて猥雑な点にがっかりすることです。

桓武天皇―平安の覇王
三田 誠広
作品社
平安京遷都〈シリーズ 日本古代史 5〉 (岩波新書)
川尻 秋生
岩波書店
続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社
続日本紀(中) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社
続日本紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社

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