年寄にこそ

映画

 師走。

 久しぶりに魚屋に寄ったら、冷凍のカニやらイクラやら新巻鮭やら、正月っぽい物が売り場に多く並べられるようになりました。
 そういう風景を見ると、年の瀬が近づいたことを実感します。
 そういう物を見ると、なんとなく、近い過去を思い返したりします。

 4月、私は新しい部署に異動しました。 
  仕事は猛烈に忙しいのですが、これも年まわりのせい。
 部下の管理と上司からの圧力に負けそうになりながら、精神病薬の力を借りて、働き続けました。
 不思議と、あまり憂鬱になることはありませんでした。

 このまま定年まで働いて、年金暮らしになるのでしょうが、安定だけを求めた社会人生活です。
 安定してはいますが、少しも面白くない仕事に、よくも30年もしがみついていたものです。

 結局、怖かったのだと思います。
 世間では高齢ニートだとか、引きこもりだとか、子供部屋おじさんだのという言葉を耳にします。
 そういうものになるのが。

 そしてコロナで外出の機会は減り、義母の我儘は激しく、人生半ばを超えて、楽しいことは減っていくようです。

 考えてみれば、赤ん坊の頃は祝福され、幼稚園、小学校くらいまでは甘やかされて育ちました。
 中学、高校と、自分はあまり頭が良くないと思い知らされるようになりましたが、それでも前途は洋々に見えました。

 進学、就職、結婚、昇進と、途中精神障害を患いながらどうにか生きてきて、もはや祝福される存在ではありません。

 若いうちは、女性であればちやほやされ、男であってもそこそこ可愛がられます。
 若いということは、それだけで祝福されているのだと、今になって思います。

 しかしそうは言っても、まだ30年くらいは生きなければならないし、生きてしまうんでしょうね。

 義母は楽しいことなんて何も無い、と愚痴をこぼします。
 多分それは本音で、未来の私を見るようです。

 実母とは離れて暮らしていますので、詳しい状態は知りませんが、時折電話で話すかぎり、元気に老後を楽しんでいるようです。
 実母は兄夫婦、独身の妹と暮らし、孫も社会人になって、曾孫にも恵まれました。
 これと言った病気も無いようです。
 その心の奥底は誰にも分かりませんが、ぱっと見は恵まれた老後だと言って良いと思います。

 年を取ると、老化の個人差が大きくなります。
 もちろん健康な心身を保つのが何よりですが、それ以外にも家庭環境や経済事情にも恵まれないと、豊かな老後を送るのは難しいと思います。

 私が住むマンションのお隣は、70代と思しき独居老人です。
 23年前、新築のマンションに入居した時からの隣人で、ずうっと独身だったようです。
 隣人と言っても、マンションは基本的に近所づきあいがありませんので、その老人がどうやって生きてきたのかは知りません。
 ただ、現役で毎日颯爽とスーツを着て朝出かけるのを見てきて、今は腰が曲がって買い物に行くのがやっと、という状態を見ると、身につまされる思いがします。
 それを気楽で良いと見るか、寂しい老後と見るかは、人それぞれだと思います。

 私たち夫婦には子供がいませんので、私か同居人か、どちらかは最後は独り暮らしになるはずです。
 まだ先のことだとは思いますが、最後に頼りになるのは、つまらないことですがお金なんでしょうね。

 私が老人になって、同居人に先立たれたら、私は酒や合法ドラッグはもちろん、禁止薬物にも手を出してしまいそうです。
 薬物で意識を朦朧とさせ、そのまま亡くなってしまうのが、私にはお似合いのような気がします。
 もしかしたらそれはとてつもなく気持ちの良いことなのかもしれません。

 昔、「リトル・ミス・サンシャイン」というコメディを観たことがあります。 
 不細工な少女がミスコンテストに出場するに際し、飛行機代が無く、家族でオンボロワゴンに乗って旅するロードムービーです。
 少女の祖父も一緒で、このじいさん、ひどいジャンキーです。
 口癖は「ドラッグは年寄がやるものだ」

  年を食って、もはや健康に気を遣うことすら馬鹿々々しくなった老人にこそ、ドラッグは相応しいのかもしれません。