年寄り嗤うな

その他

 今日は金曜日。
 今日は冠水が心配で、夕方1時間ほど休暇を取りました。
 金曜日の帰宅時が、一週間のうちで最も心穏やかな時間です。
 唯一残念なのは、同居人が義母を色々な病院、リハビリ施設に連れて行くため、ほぼ土曜日は一人で過ごさなければならないこと。

 義母が施設に入って1年。
 私たちの生活は大きく変わりました。

 夜8時を過ぎると、決まって義母から電話がかかってきます。
 長いときで1時間、短くても30分は話を聞かなければなりません。

 恐怖の電話です。

 しかも義母は同意することだけを求めていて、意見したりといったことは許されません。
 下手に意見を言うと、激高して「あんたなんか産まなきゃ良かった」という暴力的な言葉が飛んできます。
 そのため、同居人は義母の話は半分くらい聞いて、「そうだね」以外何も言わなくなりました。

 会話はキャッチボールと言いますが、同居人と義母のそれは、義母が投げる球を同居人が捕るだけで、投げ返すことはありません。

 しかも80歳を過ぎた義母が話すのは、小学生からせいぜい20代のOL時代までの武勇伝というか、自分がどれだけ甘やかされて育ったかを自慢することばかり。
 結婚して以降の話はまったく出ないそうです。
 結婚生活、子育ては、義母にとって屈辱的な思い出でしかないようです。

 甘やかされて育ったことが自慢の義母にしてみれば、当然なのかもしれません。
 そのため、同じ話を何度も聞かされることになり、同居人は昼の仕事で疲れ、さらには夜の電話でヘトヘトになる有様です。
 受話器を握ったままウトウトしていることも稀ではありません。
 
 実の姉や友人との電話は、相手の話も聞かなければならないため、嫌がります。

 同居人一人だけが、この世で唯一、反論もせず、意見も言わず、ただ「そうだね」と同意を示す短い言葉を繰り返すのです。

 精神科医に相談すると、「やりすぎだ、もっと放っておいた方がお母様の回復に資する」と当たり前のことを言い、私もそう思います。
 しかし実の母娘の間柄というのは他人には想像できないもののようで、愚痴をこぼしながら、せっせと義母の世話を焼いています。
 その同居人の精神性が私には分かりません。

 年寄り嗤うな行く道じゃもの、と申します。

 嗤うつもりはありませんが、せめて通院やリハビリの付き添いは本来施設の職員がやってくれるので、同居人による付き添いは隔週、電話は一日おきにしてくれると同居人の負担も大幅に減ると思うのですが、同居人はそれを良しとしません。

 義母はもはや衰えいくばかりでしょう。

 義母の最晩年が幸せなものであるように祈ります。
 しかしそのためには、娘と話す以外に何の楽しみも無いという生活から抜け出し、かつて趣味だった絵を描いたり、施設内で他人と一切話をせずに孤高を守るようなことはやめて、他のお年寄りともおしゃべりを楽しんだりしてほしいと切に願います。