年賀状あるいは孫

その他

 昨日は昼酒を呑み、晩酌をやり、晩酌がそのまま寝酒になるといった有様で、今朝はなんとなくだるい朝となりました。
 正月は毎年そんなものです。

 わが国には年賀状という面倒くさい風習があります。
 しかし昨今は個人情報の管理が厳しく言われ、新しく出来た知り合いに年賀状を出したくても住所が分からないということが頻発します。
 どうしても年賀状を出したかったら相手に直接住所を聞くしかないのですが、大抵そこまではしません。
 なんだか不謹慎な感じがしますから。
 で、年賀状という風習自体がそう遠くない未来にほぼ無くなるだろうと思っています。

 昨日、年賀状を見ていると、学生時代の友人から孫が出来たという写真入りの葉書が届いていることに驚きました。
 26歳の息子夫婦に子供が出来たというのです。
 私たちは子供が出来なかったせいか、いつまでも新婚気分のままで、お馬鹿な会話を楽しんだり、最近流行りのちぃかわの動画を観ながら踊りを踊ったり、馬鹿夫婦です。
 知らないうちに着実に歳月は過ぎ去り、孫を授かってもおかしくない年齢になったのですね。
 感慨深くその便りを眺めました。



 もちろん、友人のなかには独身貴族を続けている者もいて、それはそれで身軽で楽しそうです。
 その友人、「結婚できない男」が放送される前から一人焼肉なんて当たり前で、3万円を超えるような高級フレンチのコースを一人で食べてワインを一本空けたりして、なかなかの強者です。
 さすがに私は一人でフレンチのコースを食べるのは抵抗があります。

 私は若い頃、結婚すると呪縛をかけられ、逃れられなくなるようなぼんやりとした恐怖を感じていたため、生涯独身を貫こうと思っていました。
 結婚指輪なんかを付けている男を哀れに思っていました。
 結婚指輪なんて、犬の首輪と変わらないと。
 その頃の残滓は残っていて、今も結婚指輪は付けません。

 結局親からの強いプレッシャーに負けて愚かにも婚姻届けに判子を押し、自らを呪縛にかけたのでした。
 次に子供はまだかというプレッシャーをかけられ、5年間も不妊治療を行いました。
 結局できませんでしたが、いくらつかったのか分からないほどの大金をつかってしまいました。
 当時不妊治療は保険適用外だったためです。

 その後親から子供の話がでることはなくなり、今に至ります。
 
 学生時代の友人がおじいちゃんになったという年賀状、私のこれまでの浮ついた生活を省みて、猛省せざるを得ない気持ちにさせるに十分な威力を持っています。

 一人も良いし二人だけも良い。
 また、子や孫に囲まれるのも良い。
 そう思うようになりました。