黒田夏子なる75歳のおばあちゃんが、このほど最高齢で芥川賞を受賞したそうです。
芥川賞・直木賞の本来の目的は、有望な新人作家に賞を与えるというものでした。
ここ30年ばかりは、新人作家と言うよりは、若手のそこそこ売れている作家に与える賞というふうに性格が変わってきました。
しかし黒田夏子という人、メジャーな雑誌に発表した初めての作品が芥川賞を受賞したということで、芥川賞本来の意味あいと合致しています。
異色なのは、75歳という高齢だけです。
私は精神障害に苦しめられた過去を持ちつつ、今ではほぼ完治しています。
しかしうつ病は別名泣き病と言われるごとく、時折、ひどく涙もろくなります。
75歳の芥川賞受賞を聞いて、日頃忘れている父の死を思い出し、少し、泣きました。
父は昨年の3月に亡くなりましたが、72歳でした。
父は子どもの頃に親、私からみた祖父を亡くし、寺を維持していくのにひどく苦労したそうです。
しかし20代後半で住職におさまってからは、宗門で事務方のトップにまで上りつめ、面白おかしい人生だったと思います。
私が精神障害を患ってからは、とくに私を気にかけてくれ、差しで6時間も飲んだり、京都や奈良に大名旅行に連れて行ってくれたりしました。
私は父の巨大さと、じつはその奥に流れる厭世的な精神を知り、父は私が本来的に持っている脆弱さと邪悪さを知っていました。
私と父は時に悪友のように、互いの秘密を共有しつつ、知らぬ顔をして酒を酌み交わしました。
あぁ、この人は父が亡くなった年よりも三年後に人生のピークが来たのかと思ったら、ニュース映像を見ながら、思わず、悲しくないかと自らに問いかけ、涙を禁じえませんでした。
人は必ず死ぬという厳然たる事実を私にしらしめ、父はさほど苦しみもせずにはかなくなりました。
その死に様は、まるで生前の父がそうであったように、ダンディズムに殉じたかのごとくでした。
私は父の盛大な葬式で、独り、「死ぬときまで格好付けやがって」と密かに悪態をついたものです。
私は思春期の頃から文芸の世界で成功することを夢見てきました。
しかし40代を迎え、多くの人がそうであるように、サラリーマンとして平凡に生き、死ぬしかないのだなと思い知った頃合に、何事ですか。
75歳で芥川賞とは。
まるで私に、まだまだ先は長い、諦める馬鹿があるか、と言っているかのごとくです。
私が生きるために公務員試験を受けると決めた時、父は反対しました。
父は私に才能があると信じてくれていたのです。
それは亡くなるその時まで変わりませんでした。
私は今、山のように書きたいネタをメモに残しながら、愚かしいほど小説執筆を禁じる精神科医の言いつけを守って、その代替行為のようにブログなどに駄文を書き散らかしています。
ブログの記事を書くことは私にとってあまりにも簡単で、小説を書くことは極めて苦痛です。
このたびのニュースで、精神科医の言いつけを守ってきた私の心は、千々に乱れているのです。
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