幸福感

その他

 人というもの、誰もが幸せに生きたいと願うことでしょう。

 しかし幸せの形は、人それぞれ千差万別。

 幸せなな結婚をして、子どもをもうけて、仕事も順調で健康で長生きするというステレオタイプの幸せに満足する人は、実は少ないのではないかと思います。

 西行法師は妻子を捨て、北面の武士という仕事も捨て、出家して歌詠みに励みました。
 それが彼にとって、最も幸福な生き方だったのだろうと思います。

 また、権力欲、金銭欲は限りがありません。

 さらに、普通の性欲では我慢ならず、連続殺人を続け、人を殺す瞬間にしか幸福を感じられない、という人も、いつの時代にも一定の割合で存在します。

 幸福の有り様を思うとき、私はしばし、沈黙せざるを得ません。

 アルコール中毒や薬物中毒に陥る人も、わずかな瞬間の幸福感を求め、それが止められなくて中毒になるものと思われ、それなら私はそういう人々を責める気持ちにはなれないのです。
 そういう方法でしか幸福感を味わえない中毒患者に同情することしかできません。

 では私にとって幸福な生き方とは何かと問われれば、働かずに食っていける金を得て、日々、遊んで暮らすこととしか思えません。

 不幸な生き方とは、生きるために苦痛でしかない仕事を続けることで、今がまさにそうであり、よくぞ22年半もそういう生活に耐えてきたものだと我ながら感心します。

 幸福感について、他人と比べることは意味がありません。
 食うや食わずの生活を続ける貧乏人と比べたからといって私の幸福感が増すことはなく、大富豪と比較しても同じことです。

 しかし森鴎外は、近い未来に幸福を求めることは意味が無いと言っています。
 今幸福でなければ、近い将来に幸福を得ることなど不可能だ、と。

 私は40代半ばに達して、心の底から幸福だと思ったことがありません。

 おそらく生涯、そういう瞬間を持つことは無いでしょう。

 それでも生きなければならないとは、因果なものです。