広島原爆忌

社会・政治

 今日は広島に原爆が落とされた日。
 もう76年になるんだとか。

 じつは、私は原爆、火事場泥棒的なソ連の参戦、敗戦と続く8月の報道が大嫌いです。
 なにやら感傷的に、平和が大切です、みたいなことをオウムのように繰り返す、その思考停止ぶりが。

 平和を維持するには、利害が複雑に絡まりあった国際社会において、互いをけん制しあい、脅したりすかしたりして、危うい均衡の元に不断の努力を永久に続けるより他ありません。
 非常に面倒くさいことです。
 面倒くさいことを続けるしか、平和の維持はあり得ません、 

 平和平和と阿保陀羅経のように繰り返すのは、馬鹿げているというか、滑稽ですらあります。
 それは自己満足でしかありませんし、平和の維持には1ミリも役に立ちません。

 私は母が5歳の時に長崎で被爆した被爆2世です。
 母は80歳を超えてなお元気ですが、被爆者手帳を持ち、都営バスや都営地下鉄は無料で乗れるそうです。
 しかも実家の最寄り駅は都営新宿線なので、被爆者手帳が多いに役立ちます。

 母は爆心地から離れた場所で被爆したと聞きました。
 そういう人になぜ被爆者手帳が交付されるのでしょうね。

 母からは、被爆者団体が発言力を持つためには、被爆者はなるべく多いほうが良いからだ、と聞きました。

 一種の圧力団体ですな。

 しかし当然のことながら、被爆者は高齢化し、年々亡くなっていきます。

 私が生きているうちに、最後の被爆者が亡くなりました、なんていうニュースを見ることになるかもしれません。

 それなのに、被爆者団体の発言力を維持しようなんて、無理なことです。

 国家のために犠牲になったことは間違いありませんが、原爆被害者は、他の通常兵器で亡くなった方々よりも、不当に手厚く処遇されているような気がしてなりません。
 戦争被害者のなかのエリートみたいな。

 原爆だろうと、鉄砲の弾だろうと、焼夷弾だろうと、戦争で亡くなったことに違いはないのに。

 義母は東京大空襲で実母と妹を亡くしており、義母が生き残ったのは、奇跡的なことだったようです。
 義母も、原爆で亡くなった人と、東京大空襲で亡くなった人の扱いが違い過ぎる、と言って憤慨しています。

 人は自分の経験と、自分の考えでしか、物事をとらえることはできません。
 それは戦時下という非常事態でも同じこと、いや、非常事態だからこそ、余計にそうなのだとも言えるでしょう。

 同じ戦争で亡くなった人の遺族同士が、こっちのほうが悲惨だったとか、向こうは楽だったとか、そんなことを言うのはなんだか悲しいことですね。

 私たちの世代は、親が幼い頃戦争体験をしている人が多いことと思います。
 親や祖父母の話を聞くことで、戦争を追体験してきたと言っても良いかもしれません。

 しかし、いくら語り継ごうが、必ず記憶は風化します。
 風化させない、と頑張ってみても、ただの歴史的出来事になってしまいます。

 そうでなければ、過去の記憶に囚われて、にっちもさっちも行かなくなるでしょう。

 やがて学校の歴史の授業で学ぶとか、ドラマを見るとか、戦記文学を読むとか、その程度になっていくでしょう。

 風化するのも悪くありません。
 それが、時間が経つということですから。