病気休暇から抜け出して、9ヶ月目に入りました。
最近私が気になるのは、引きこもりと呼ばれる人たちです。
私も病気休暇の最初の頃は、ほぼ引きこもりだったわけですから。
内閣府の調査では、現在70万人の引きこもりがおり、予備軍は155万人いる、と推計しています。
これは驚愕の数字ですね。
しかもこの内の多くは親元で暮らし、親の収入で食っているわけです。
甚だしきにいたっては、60代の引きこもり男性が90代の親の年金で暮らしているとか。
私は休職していた間、給料をもらっていましたし、定期的に職場と接触し、復職へのロード・マップがありました。
それでも、このまま良くならないんじゃないか、とか、もう退職したほうがいいんじゃないか、とか、もう十分に生きたからそろそろ楽になろうか、とか、負の感情に支配されることがしばしばでした。
それを思うと、無職で十年も二十年も自宅に引きこもっている人の心境は、察して余りあるものがあります。
きっと家族や親類、ご近所から心ない言葉をかけられることもあったでしょう。
また、マスコミなどが偏見に満ちた報道をし、傷つけられたことも数知れないでしょう。
毎日が長く、地獄のようでしたでしょう。
この問題の解決は容易ではありません。
自己の選択として引きこもっており、十分な経済的裏付けがある人はともかく、職につきたい、引きこもりから脱出したい、と思っている人であっても、厳しい経済状況と、長いブランクのせいで、なかなか思うにまかせないでしょう。
それと、精神病なのに病状が軽くて病識がなく、通院していない、ということもあるでしょう。
家族の在り様の問題、地域社会や精神医療の問題、公的支援の問題、そして何より、当事者の心の問題。
じつに様々な現代的課題が複雑に錯綜し、その糸をほぐすのは気の遠くなるような根気のいる作業です。
しかもその複雑な糸は70万もあり、からまり方は70万通りあるのです。
私は、引きこもりを問題視しないことが、結局は引きこもり問題の解決につながるような気がします。
世の中には色々な人がいますから、引きこもりの人がいたっていいだろう、と。
息子は○○社に勤めています、と言うように、息子は引きこもりです、と言えて、聞いた方も大変結構なことで、と応えられればいいんじゃないでしょうか。
引きこもっている者を無理矢理引きずり出すことはありません。
当事者も何が何でも外に出なければ、と思う必要はありません。
引きこもりを生き方の一つとして認め、その状態が悪であるかのように報道するのを止めることが第一歩です。
生きるのが辛くてしょうがない時、樹海や足摺岬を目指すくらいなら、自室に引きこもるほうがよっぽど良いでしょう。
敵が強大なら逃げて、潜んでいるものです。
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