人間生きていれば後悔することや反省することばかりですね。
あの時ああしていれば、とか、もうちょっと気をつければ、とか。
このたび指原某がAKB48グループの総選挙で1位になったことを、秋元先生は「後悔している」とだけ語ったそうです。
それは指原某が男性スキャンダルを起こした時解雇しなかったことを指すのか、あるいは博多へ左遷したことを指すのか、あるいは遡って彼女を採用したことを指すのかは分かりません。
しかしお陰様で人気に陰りが見え始めたグループに、再び強烈なライトが当たったことは確か。
さすがに秋元先生、強運の持ち主ですねぇ。
私が後悔していることと言えば、高校進学から始まって大学進学、就職、パートナーの選択と、ほとんど全ての人生の分岐点に取ったおのれの行動に後悔しています。
今住んでいるマンションだけは、立地条件の良さから気に入っていますが。
さだまさしの「主人公」という歌に、たしかに自分で、選んだ以上、精いっぱい生きる。そうでなきゃ、あなたにとても恥ずかしいから、というフレーズがありました。
それはそうなのでしょうが、そうはいかず、ぐじぐじと後悔し続けるのもまた人間。
その時その時は精いっぱいの決断だと思っても、後で振り返ってみれば、後悔先に立たずというのはよくあることです。
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そして人間は、長く生きれば先が見えてきて、諦めることを覚えるよりほか、自分を正当化できなくなるというわけです。
当たり前ですが。
諦めることができない老人ほど、辛いものはありますまい。
しかし人はまるで老化に伴う本能であるかのごとく、諦めが早くなり、なんだかもうどうでもいい、みたいな心境に近付くようです。
私はまだそこまでには至っていませんが、諦めることは、万やむを得ず、身に付けてしまいました。
世の中には運が良いとか悪いとか言うことは確かにあるように思います。
同じような能力を持っていても、うまくいくかどうかは人によって違います。
翻って私はといえば、特別運が悪いわけでも良いわけでも無い、平凡な能力を持って平凡に生きてきた凡人であると認めざるを得ません。
強烈な誇りを隠し持った私にはそれを認めることは屈辱以外の何物でもありませんが、しかし事実である以上仕方ありません。
多くの人が、私同様、過去を思い返しては後悔の念に襲われ、それでいてただ今現在をも無為に過ごし、将来に向かって後悔の種をばらまいているのでしょうねぇ。
まったく愚かと言おうか、懲りないと言おうか。
私は自身を含め、全ての凡人に深い同情を禁じ得ません。
それでも日々を誠実に生きている凡人たち。
名作「アマデウス」では凡庸な才能しか持っていないことを自覚している宮廷音楽家のサリエリが、自分よりも当時の宮廷では低く見られていたモーツァルトが持つ天賦の才を見抜き、嫉妬に駆られます。
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サリエリは年老いて、自分の曲が忘れ去られて行くなか、若くして亡くなったモーツァルトの音楽が永遠の命を保っていることを目の当たりにし、神を呪い、自身を凡人の王と呼びます。
世の中を支えているのは私たち凡人の群れに違いありません。
それは古今東西、常にそうでした。
英雄や天才に憧れ、自身もそうでありたいと願うのは、若者ならば大抵そうでしょう。
しかし、人生も後半を迎えた私は、多くの凡人たちとともに、誇り高い凡人として生きていくほかないと思うのです。