後追い

文学

 昨日、今日と同居人が風邪に臥せってしまいました。
 昨日の朝高熱を発し、すぐに内科に行って検査したところ、コロナでもインフルエンザでもなく、風邪との診断。
 咳がひどく、咳止めやら解熱剤やら抗生物質やらが処方されましたが、薬効確かではありません。

 2日間、私はリビングダイニングで過ごし、飯も一人。
 同居人は粥を食うために出てくる以外はずうっと寝室で過ごしていました。
 感染を怖れて私はリビングに布団を敷いて寝ました。

 ドア一枚隔てただけですぐそこにいるのに、なんだか寂しい気持ちが続きました。
 べつに難病に冒されたわけでもないのに。

 同居人に頼ること著しいものがあります。

 若い頃はそうではありませんでした。
 いつでも離婚して良いとさえ思っていました。
 私は独り暮らしの経験が3年ほどあり、ために一通りの家事をこなすことができます。
 独り暮らしは快適でしたし、そこに戻ることに躊躇はありませんでした。

 しかし双極性障害を発症してから、少しづつ同居人への依存が始まり、今ではこの体たらくです。
 全くもってお恥ずかしい。
 よく老いて連れ合いを亡くすと、男のほうががっくりきてしまい、女は逆に生きいきするとか言います。
 それが私にも起こっているようです。

 どうしてでしょうね。

 最近は緑内障のせいか車の運転が怖くなりました。
 コロナで長いことマスクを着けていたせいか、マスクを外して顔を見られることに抵抗を覚えるようになりました。
 そして、同居人への依存。

 すべてが老化のせいなのか、私の本性が表れだしたのか、あるいは冷酷でさえあったこの私が同居人に改めてベタ惚れし始めたのか、よく分かりません。

 理由は分からないながら、そういう現象が起きていることは事実です。
 これからさらに年を取ったら、私は独りで生きる自信がありません。
 私か同居人か、どちらかが先に亡くなるわけです。
 江藤淳のように、後追いしてしまうかもしれません。