必ず行く

社会・政治

 安倍総理、第一次安倍内閣時、靖国神社に参拝しなかったことがよほど悔しかったものと見え、時期は明言しませんが、「必ず行く」と息巻いているそうですね。

 今、まさに秋季例大祭の最中。
 10月20日まで続きます。

 戦後、歴代内閣総理大臣は、中曽根先生が8月15日にお参りするまで、春秋の例大祭にお参りすることを通例としてきました。

 1979年にいわゆるA級戦犯が合祀されますが、1985年の中曽根先生の参拝まで、中韓は特に問題視することはありませんでした。

 当たり前ですよねぇ。

 完全に日本国内の、日本人の内心の自由の問題ですから。

 昭和陛下は戦後8度にわたり、靖国神社にご親拝なされていますが、中韓がそれを問題視したことはありません。
 ただし、1975年を最後に天皇陛下によるご親拝は行われておらず、それは今上陛下になってからも続いています。

 しかし中韓は、春季例大祭の際に安倍総理が参拝しなかったにも関わらず、真榊を奉納しただけで過剰に非難してきました。

 余計なお世話と言うものです。

 わが国の宗教感情は極めて大らかなもので、俗に、氏子で檀家でクリスチャンなどと揶揄されるほどですが、それはむしろ宗教対立が激しい世界にあって、褒め言葉と捉えるべきでしょう。

 わが国のような宗教的寛容をすべての民族、宗教が持てば、宗教を原因とする殺し合いなど、起きようはずもありません。

 中韓は神道そのものを問題視しているわけではないでしょう。

 伊勢神宮には皇族も総理大臣も政府高官も毎年のようにお参りしますが、それが問題になったという話は聞きません。

 つまり、靖国神社や、各都道府県にある護国神社など、明治政府が国策として創建した、大日本帝国のために戦病死した人々を祀る神社を問題視しているようです。

 しかし、どこの国にも戦病死した者を慰霊する施設は存在し、それがわが国においては靖国神社護国神社だっただけであり、今さら無宗教の新たな追悼施設を作ったところで、仏作って魂入れずみたいなもので、そんな新造の追悼施設に心は無いでしょう。

 今も、靖国神社に訪れると、様々な木に、○○連隊などという札が掛けてあり、爪も髪も戻ってこなかった戦友、息子、夫、父を偲ぶのに、その木しかなく、その木の前で深く頭を垂れている老人を見かけます。

 そのような人々を見るにつけ、日本人の間には今も戦病死した兵隊や軍人を偲び、感謝の誠を捧げるのに相応しい場所は靖国神社である、という素朴な感情が残っていることを感じます。

 選挙で選ばれた総理大臣や、日本国民統合の象徴とされている天皇陛下が、素朴な国民感情を重んじ、靖国神社を参拝することは、極めて意義深いことと思います。

 おかしげな隣国に配慮する必要はありません。

 まして今、中国も韓国もわが国との首脳会談を拒否しています。
 こちらから頭を下げて会談をお願いすることは無いでしょう。
 話し合いをすべき喫緊の課題もありません。

 ガタガタ言うなら、永遠に首脳会談などしなければ良いのです。

 わが国の高性能の電子部品を輸入し、それを組み立てただけで国産品と偽って商売をしている中韓が、そのうち音を上げるでしょう。

 それまでわが国は北東アジアで名誉ある孤立を保ちましょう。

 東南アジアや中東、欧米とは、関係性は良好なのですから、何の問題もありません。 

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