御大、小池真理子先生の平成8年の直木賞受賞作、「恋」を一気に読破しました。
今まであまりにストレートなタイトルに怖れをなして手に取らなかったのが悔やまれる、名作でした。
直木賞のレベルを凌駕している作品です。
![]() | 恋 (新潮文庫) |
小池 真理子 | |
新潮社 |
時代は1970年代初頭。
学生運動が吹き荒れる政治の季節。
布美子は女子大生で、活動家の男と同棲し、学生運動にも多少の興味を持っています。
しかし、他大学の英文科助教授、信太郎とその妻、雛子に出会い、生活は一変します。
お金持ちで、奔放で、快楽主義的で、遊び好きの夫妻がかもし出す、デカダンスな雰囲気に惹かれていき、学生運動などどうでもよくなります。
当初は信太郎に恋情を覚え、やがては雛子と信太郎という番いに恋していきます。
布美子は夫妻を、両性具有の一個の個体とみなしていくのです。
雛子はセックスフレンドとも言うべき男友達を複数持ち、しかもそれは夫公認で、信太郎は雛子の快楽の相手である男と平気で酒を酌み交わすのです。
そしてまた、信太郎と布美子が情を通じた後、それを知った雛子は祝福すらするのです。
なんという不道徳。
しかしその不道徳は、この小説をとてつもなく魅力的な、耽美的な物語に見せるのです。
信太郎と雛子夫妻と、女子大生、布美子は、分かちがたく結びつき、享楽的な日々を過ごします。
しかし、思いがけないことが起きます。
雛子が、信太郎に隠れて、いわば精神的な恋に落ちるのです。
それまで、他の男との情交を夫に嬉々として語っていた雛子が。
いくら雛子が他の男と寝ようが平気で笑っていた信太郎が、寝ない男との恋に、激しく嫉妬するのです。
雛子が大久保に一途に求めていたのは、彼の肉体ではなく、精神であった。(中略)
そんなものだけを求めるなど、不潔な行為としか思えなかった。
汚らわしかった。
貪欲に肉体を求め、快感を求め、性に溺れていく人間のほうが、はるかに清潔だ、と私は思った。
布美子が、雛子の変わりようを嘆く一節です。
ここには、性をめぐる世間的な価値観との逆転が見られ、それこそが、雛子の魅力であったはずでした。
両性具有の個体というべき退廃的な夫婦に対する布美子の恋。
そしてまた、生まれて初めて味わう、精神的な恋におぼれる雛子。
欲望だけを知っていて、恋を知らないかのように振舞う信太郎が、妻の本当の意味での不貞を知り、初めて妻に恋焦がれる有様。
三者三様の恋模様が、退廃的で官能的な雰囲気を濃厚に漂わせながら、つづられていきます。
そして浅間山荘事件の犯人がテレビ中継の中逮捕された日、浅間山荘と同じ軽井沢に立地する別荘で、悲劇は起こります。
ラストにいたって、涙なしには読めない、夫妻の布美子に対する思いが、象徴的に語られます。
真に真に、魅力的な物語です。
私は真に優れた物語に接すると、何日もその世界にいて、登場人物と一緒に暮らしているかのような精神状態に陥る悪い癖があります。
今回も、それが起きそうな予感がします。
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