韓国の日本大使館前に従軍慰安婦を象徴する少女の像が設置されました。
在韓日本大使はただちに韓国政府に撤去を要請しましたが、韓国政府の返答は曖昧です。
下品なやり方ですねぇ。
もともとこの問題は、吉田清治なる人物が1980年代前半、「私の戦争犯罪」で朝鮮人女性を慰安婦にするために軍が強制連行した、とする記述を行ったことが、官憲側からの告発だとして唯一の証拠とされました。
その後追跡調査をすることなく、宮沢内閣は韓国に平謝りし、河野談話を出すに至って、確たる証拠はないけれど、関係者の証言などの状況証拠から、強制性が認められる、とやってしまいました。
これは失政でした。
唯一の証拠であった吉田清治の著書がねつ造であったことを、1990年代半ば、本人が認めてしまったのですよねぇ
吉田某は週刊新潮とのインタヴューで、「本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやるじゃないか」、と言い放ったそうです。
現実の問題として吉田がその著書中から事実と主張する部分と創作の部分とを分離せず、検証が不可能であるために、現在では吉田証言が強制連行の存否において信頼できる証拠として採用されることはなくなったようです。
しかも当時の朝鮮人も日本人も、嫌がる朝鮮女性を無理やり日本の官憲が連行していった場面は見たことが無い、と証言しています。
するとこれは、少なくとも確たる証拠がない、でっち上げだと言わざるを得ません。
追跡調査を怠った宮沢内閣の不作為の罪は、誠に重いと言わざるを得ません。
そもそも吉田清治なる人物は、何故そのような虚偽の著作を発表したのでしょうね。
韓国政府は従軍慰安婦強制連行を歴史的事実としてわが国に謝罪と補償を求めています。
一方、朝鮮戦争の際、米兵や韓国兵相手に従軍慰安婦になった者は、自らの意思であって、通常の売春行為であるから、謝罪も補償もしない、という立場です。
朝鮮戦争で従軍慰安婦だった女性たちは、証拠が存在しない日本の官憲による強制連行を責める韓国政府は、朝鮮戦争での従軍慰安婦問題を放ったまま、日本を悪者にしており、許しがたい、と憤っています。
話がここまで広まってしまっては、行われなかった犯罪行為も、行われた犯罪行為と同等になってしまいました。
わが国が取りうる態度は、確たる証拠が出ない限り、韓国の言い分を黙殺するしかないでしょう。
もうどうせおばあちゃんばかりですから、放っておいても10年か20年のうちに自称従軍慰安婦もこの世からおさらばしてしまうことでしょう。
私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行 (1983年) | |
吉田 清治 | |
三一書房 |
にほんブログ村
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!