慰霊

社会・政治

 近頃、またぞろ政治家が靖国神社を参拝しただの、総理大臣が真榊を捧げたのと、中国・韓国が騒いでいますね。
 それに対し、今までの総理大臣と異なり、安倍総理が信教の自由を盾に強気に出ているせいで、今までに輪をかけて妄言だなどと大げさに騒いでいますね。

 嫌になっちゃいますねぇ。

 国のために命を落とした英霊に感謝の誠を捧げるのは万国共通。
 たまたまわが国は伝統に従って神社という形を取っているだけのこと。

 ただし、靖国神社は自然発生的に生まれた神社ではなく、明治政府が神道を国家のために利用したという生まれの悪さがあることは間違いないところではあります。

 しかし、それも今となっては国家神道とは無縁になり、多くの国民が靖国神社や護国神社に詣でて英霊を慰めるのが慣例になっています。
 それを外国がガタガタ言うのはお節介というものです。

 私自身は、英霊のたましいを鎮めるのに形に拘ってはいません。
 それは寺社仏閣に出向かなくても出来ることだと思います。
 家庭でも、職場でも、極端な話便所でも、その心が誠であれば問題ありません。

 しかし、世の中は形を重んじることもまた事実。
 例えば冠婚葬祭などで礼服を着るという形式は、無駄に思えてもじつは重要なことです。
 衣服はTPOに応じて変えるのが大人の常識です。

 したがって、靖国神社や護国神社にお参りするという形式を重視する人の気持ちも分かります。
 いかにも慰霊を行った、という気分になるのでしょうね。

 不思議なのは1980年代以前には、総理大臣が靖国神社にお参りしても、中韓もわが国のおかしげなマスコミもなんら問題視していなかったこと。
 なぜ突然問題視されるようになったのでしょうね。
 
 A級戦犯合祀がそのきっかけとなったという説がありますが、厳密にはその直後から騒ぎ始めたというわけではありません。

 それに、A級戦犯とは言いますが、東京裁判は連合国が事後法で裁いた一種の復讐裁判に過ぎません。

 事後法など、法律の素人でも反則だろうと突っ込みたくなります。

 だからこそ、インドのパール判事は連合国の裁判官の中でA級戦犯を事後法で裁くことに反対し、ただ独り、全員無罪の少数意見を主張し、罷免されたわけです。

 連合国が去って独立を回復するや、わが国会はすべての戦犯の名誉回復を全会一致で行いました。

 A級戦犯に罪があるとすれば、それは戦争指導を誤り、わが国を敗戦に追いやったことだけで、それは諸外国に対する罪ではなく、総力戦を全力で戦ったわが国民に対する罪であるに違いありません。

 英霊に感謝の誠を捧げるという国家として当たり前の行為が国際問題になってしまうのは、わが国にとっても、中韓にとっても不幸なことです。

 精神上の問題は、静かに、それぞれの思想信条に従って行うとともに、他人の思想信条ややり方を尊重してもらいたいと願ってやみません。

 まぁ、中韓のヒステリックな抗議には、まともに相手にせず、放置するしかないでしょうねぇ。
 何しろあまりに感情的で、まともな大人のやることではないですから。


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