憂国忌

文学

   今日は三島由紀夫の命日、憂国忌です。
 森田必勝と市ヶ谷の自衛隊に乗り込み、檄を飛ばした後、自衛官のうち誰一人として呼応することがないことを知って、割腹自殺して果てました。

 それから45年。
 生きていれば90歳です。

 あの事件が、偉大な文学者であった三島由紀夫を、スキャンダルに満ちた国粋主義者に変えてしまいました。
 極めてシニカルな小説を書いた彼が、あのような激情に狂ったとしか思えない事件を起こすとは驚きです。
 あの事件は、当時の左翼過激派にも衝撃を与え、新左翼から新右翼に転向する者を生み出しました。

 憂国忌の語源となった「憂国」は、2.26事件の後、割腹して果てる青年将校と妻の後追い自殺、それにいたる長い情交が描かれ、それは魔的な美しさを誇ってはいても、右翼的でも国粋主義的でも、さらには憂国の情を感じさせるものでもありません。

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

 自衛隊に乗り込む直前に書きあげた「天人五衰」にしても、極めて冷静な筆致で、これから腹を切りに行く人が書いたとは思えません。

天人五衰―豊饒の海・第四巻 (新潮文庫)
三島 由紀夫
新潮社

 一体作家の精神に何が起きたのか、私には分けが分かりません。
 作品と行動がまるで一致しないのです。  

 結局のところ、作家は常に冷めた視線で楯の会を作り、割腹に向かって突き進む著名な作家、という芝居を演出し、主演したのだとしか考えられません。

 何事も美的な物語を紡ぎ出すことにのみ心血を注いだ人なればこそ、いっそ滑稽とさえ言える物語を、美的に演出し、演じきることで、おのれの人生そのものを物語に昇華せしめたのだと解釈する他ありません。

 森田必勝との情死だ、なんて言う人もいますが、ことはそう簡単ではありますまい。
 まこと、精神の運動が現実に与える力というものがどれほど大きいか、思い知らされる事件でしたねぇ。