8月。
先の大戦を振り返る季節がやってきました。
人間には絶望的なほどの戦闘本能とも言うべき性質が備わっているように思います。
戦争にしても革命運動にしてもヤクザの抗争にしても、同種同士で傷付けあうという本能こそ、人間の根源的な性質であることは、歴史を見れば否定できないものではないでしょうか。
スポーツやゲームなどで戦闘本能を満足させることができるでしょうか?
それはまるで、ガムを噛んでタバコの代わりとしようとするごとく、また、ノンアルコールビールで飲酒欲求を満足させるかのごとく、虚しいことのような気がします。
戦闘本能を十分に満足させるものは戦闘しかない、というのが、結局のところ本当なのではないでしょうか?
それを肝に銘じて、では平和を維持しつつ、戦闘本能を満足させる方法はないのか、を考える必要がありましょう。
救いがないようですが、私はそういう方法は結局のところ存在し得ないのだろうと思います。
本能であるのなら、それを失えば人間は人間ではなくなってしまうでしょう。
それならば、人間は人間でなくなる努力をすれば良いということになるのかもしれません。
人間を超えた存在。
神をも超える存在。
傲慢なようですが、人間は人間たることを超えるしか、同種同士の殺し合いを克服する道はないように感じます。
しかし、宗教に頼っても無駄でしょう。
なんとなれば、昔から宗教を種とした争いが絶えたことはありません。
私には、人間が意志の力で、しかもこぞって人間を超える運動を起こす術を想像することができません。
しかしそれが成った時こそ、恒久平和は訪れるのだろうと思います。
果てしない道のりではありましょうけれど。