今日は積もるほど雪が降るという予報でしたが、反して雨でした。
気象予報士は関東の雪ほど予報が難しいものはないと言い訳していました。
なんでも関東の雪は1度違えば予報が外れて雨になってしまい、1度くらいの温度差が問題になるのはこの時期だけだとか。
そうでしょうねぇ。
未来は誰にも分かりませんから。
そんなことを言うテレビ番組を観ながら、私は中島みゆきの「タクード-ライバー」と言う、大嫌いな弾き語りの曲を思い出しました。
1980年代に若い日を過ごした同世代たちは、中島みゆきか松任谷由美か、どちらかに好みの曲が分かれました。
私は冷静に聞き比べて、どちらにも駄目を出しました。
どちらも時の審判を経ておらず、私は時の審判を経て生き残った歌謡ばかりを学んだため、どちらも浅薄に聞こえたのです
しかし、中島みゆきが弾き語る「タクシードライバー」の一節、タクシードライバ-苦労人と見えて、あたしの泣き顔、見て見ぬふり、天気予報が外れた話と野球の話ばかり何度も繰り返す、と繰り返されるフレーズは、じつにあざといというか、うまいと思いました。
なるほど、こうして浅はかに人の心を掴むことに長け、それで大もうけしたのだなと思いました。
その曲調は哀切を帯び、詞は失恋を歌って悲しげです。
話は飛びますが、私は高等教育と研究を主にする職場で事務仕事をして21年になろうとしています。
その小さな経験から、教育の重要な柱は、冷たい人間を育てることにあるのではないかと思っています。
冷たいというのが言いすぎなら、冷静な人間と言ってもいいでしょう。
とにかく、熱い人間はいただけません。
冷静というのが言いすぎなら、熱くない、と言ってもいいでしょう。
損得で動く人間は、概ね冷静で、話し合いができます。
しかし思想信条で動く人間は、お話になりません。
人間がすべからく損得で生きれば、この世の争いは大方無くなるのではないかと思います。
今、国家が20世紀前半のような総力戦を戦おうとすれば、それは敵味方互いに滅びるみたいな大損を喰らいます。
それは核兵器の開発によって生み出された、冷たい平和と言えましょう。
お互い滅びるのは嫌でしょうから、総力戦はその後起きていません。
しかし、思想信条で生きる熱い連中は手に負えません。
死んでも信念を貫こうとするのですから。
日本人の女が日本で暮らすイスラム教の男に惚れて結婚し、息子もしくは娘として生まれた自分を想像してみるがよいでしょう。
日が沈むまでは唾も飲み込んではいけないという断食月、味の素も使えないという厳しい豚肉禁止の教え、それらを両親がたまたま恋に落ちたからと言って、この日本国に生まれ、日本国で育つ子どもが引き受けるのは極めてしんどいことと言えましょう。
思想信条で生きるというのはそうしたことです。
おのれと異なる価値観を否定し、それだけでは飽き足りずに武力で攻撃を仕掛ける、それを私は熱い人間と呼び、わが国民をそういう風に育ててはいけないと心底思います。
簡単なことではないでしょうか。
おのれの損得だけを考えて生きればいいのです。
そうすれば必ず、現世から争いの種は減ります。