改革の親分

社会・政治

 かつて流行った改革とやらの親分が引退を表明しました。

 私は、この改革が契機となって、最初のうつエピソードを発症しました。

 国立の研究機関や大学が法人化され、会計制度が官庁会計から企業会計に変わりました。国立研究機関の会計事務を十五年も続けていた私には、天地がひっくり返ったような大事件でした。会計規則は法人化後も細部が決まらず、しかも当時、国立大学の本部契約総括主任だった私は、各学部の契約担当係からの怒気を含んだ問い合わせや、常駐している監査法人からの厳しい指摘に耐えなければなりませんでした。
 法人化一年目を乗り切ったとき、私は、壊れていました。
 二年目の8月から半年間、休職に追い込まれました。

 正職員の大幅な削減と、多くの派遣職員の採用がセットで行われました。
 しかも、派遣契約の入札は、派遣会社いじめともとれるような、過酷な予定価格をもって、行いました。
 その予定価格を作ったのは、私です。
 政府の方針によるものであり、まさに弱者切捨てでした。
 政府関係機関は派遣会社をいじめ、派遣会社は派遣社員をいじめるのです。

 私は、年功序列を悪いとは思いません。
 圧倒的多数の人間は凡人です。凡人でも、真面目に働いて、ある年数を経験すれば、それなりの処遇を受けられる、という制度は、社会の安定につながります。
 制度を超えるほど優秀な人は、昔から、慣例を破って厚遇されていました。
 凡人に能力を超えた仕事を押し付ければ、健康を害するのが落ちです。
 職場はギスギスし、安定は破られました。

 私は来月から職場復帰しますが、もうやる気はありません。
 言われたことをこなして、給料さえもらえれば、職場がどうなろうと知ったことか、という気分です。
 あの改革の親分が、私に与えたものです。