「放哉評伝」を読みました。
山頭火にかまけているうちに、もう一人の自由律俳句の巨人、尾崎放哉について知りたくなったからです。
よく、動の山頭火、静の放哉と言われます。
山頭火が晩年まで各地を行乞の旅を繰り返したのにたいし、放哉はサラリーマン生活を30代半ばで打ち切り、いくつかの寺の寺男や堂守をした後、晩年は小豆島の小さな庵に閉じこもって句作にはげんだからでしょう。
しかし2人には、共通点も多くあります。
ひどい酒飲みであったこと、多くの人に恥じも外聞もなく金の無心をしたこと、俳誌「層雲」の主要な同人であったこと、など。
句風は当然違ったものです。
山頭火は激しく、放哉は寂しげ。
つくづく淋しい我が影よ動かして見る
この句は、読みようによってはずいぶん不気味な印象を与えます。
我の付属物であるはずの影と我とを同じ位置に置いて、影に呼びかけているのです。
一日物云はず蝶の影さす
ここでも影が重要な暗喩を含んでいます。
こんなよい月を一人で見て寝る
この句は放哉が否定した季語があり、わが国文学では重要なモチーフである月が正面から取り上げられ、放哉の芸術的精神がより自由になったことをうかがわせます。
放哉は40歳で小豆島に庵を結んでから、わずか一年足らずで結核に倒れ、周囲が入院することを強く勧めても頑として断り、41歳で短い生涯を終えています。
旧制一高から東京帝国大学を出、生命保険会社の幹部にまでなったエリートとしては、異色の生涯です。
辞世は、
春の山のうしろから煙が出だした
です。
何か頓悟したような、明るい感じの句になっています。
山頭火といい、放哉といい、なかなか俳句だけで食っていくのは困難だったようで、いつもお金の心配をしています。
それでいて桁外れの大酒飲み。
家族を捨て、世の中をも捨てなければならなかったその精神には、痛ましい思いがします。
酒でも飲まなければやれん、という気持ちも分からないではありません。
しかし正直、こういう人と知り合いにはなりたくないですね。
凡人に生まれた私は、自らの平凡さを喜ぶべきでしょう。
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