教科書

社会・政治

 尖閣諸島を含む石垣市などの沖縄の一部地域が育鵬社の公民教科書を採択したことが、沖縄のローカル・メディアを騒がせているそうですね。
 それらの新聞には、行き着く先は戦争、だとか、公民で皇民化、なんて駄洒落を飛ばしているような奇妙な見出しが躍っているそうです。
 これらは論理の飛躍としか言いようがなく、素人から見ていかにも馬鹿馬鹿しい論調です。

 私は文部科学省の検定に合格した各社の公民教科書を読んでいませんので、又聞きになってしまいますが、要するに育鵬社の教科書は北方領土や尖閣諸島、竹島など、現在の日本が抱える領土問題を、他社より詳しく書いてある、ということのようです。
 実際に存在する領土問題を隠してしまうことのほうが、適切さを欠くというべきでしょう。
 かつて大本営発表が、都合の悪い事実を隠し続けたようなもので、問題が多い事案ほど、詳しく報道なり教育なりを行う義務が、報道機関や教育機関に課せられていると言わなければなりません。

 戦後、わが国は、古事記日本書紀などの日本神話を、それが軍国教育の一助になったからという理由で、子どもに教えることに後ろ向きになってしまいましたね。
 文学書のような歴史書のような両書物ですが、少なくとも前半は、物語の原型とも言うべき純文学であり、それはギリシャ神話に比すべき人類の貴重な遺産です。
 後半に到って神々がそのまま皇室に繋がっているような記述となり、急に退屈な内容となってしまいます。
 物語の本質よりも退屈な後半部を重く見て、味噌も糞も一緒みたいに軍国教育に繋がると言ってこれを否定することは、わが国民が拠って立つべき魂の標を喪失するようなものであり、愚かというより喜劇的です。

 しかし学校現場がそのような喜劇を演じ続けている間も、子ども向けの絵本や芝居などで、きちんと日本神話を発信し続けた出版社などは、教員よりもよほどまともな感覚を持っていたものと思われます。
 誰でも一度は、因幡の白兎や、ヤマタノオロチや、天の岩戸の物語を、子どもの頃に鑑賞したのではないでしょうか。

 今回の沖縄での教科書騒動も、それに類する喜劇ですねぇ。
  おそらく沖縄県の市町村のなかでも、尖閣諸島を抱える地域だけが、育鵬社の教科書を採択したということは、直接的な脅威が存在することを強調したかったのではないかと推測します。
 
 かつて石垣市の博物館に行ったとき、そこには琉球王国からの侵略を受け、富を簒奪された苦難の歴史が延々と展示されていましたっけ。
 同じ沖縄といっても、沖縄本島とそれ以外では、歴史認識もだいぶ異なるようです。

 沖縄県の一部市町村の教育委員会が、沖縄の地方紙の意に沿わない教科書を選択したからといって、まるで第三次世界大戦が始まるかのような巨大な見出しをつけて沖縄県民の不安を煽るのは、あまりに滑稽です。
 もう少し冷静になってはいかが?

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