文化の日の三連休中日が終わろうとしています。
文化の日が明治節(明治天皇誕生日)なのは、周知の事実。
にも関わらす、戦後の国会は、文化の日を制定するにあたり、明治節とは何の関係も無いと言い張ったと聞き及びます。
なんと愚かな。
では11月3日なる日を、なぜ国民の祝日に選んだというのでしょうか。
合理的に説明しようとすれば、明治節に帰す他ありますまい。
明治節という大事な日を、敗戦国である日本が残そうとと決意した場合、文化の日なる空虚な名前を考えだしたことは致し方ないと思います。
白人帝国主主義国家が幅を利かせていた当時、わが国が世界の主要プレーヤーとして躍り出て、ついには第二次世界大戦で派手に戦って連合国の心胆を寒からしめ、一歩及ばず手痛い敗北を喫するまで、唯一の有色人種の帝国主義国家として、ずいぶん努力したであろうと想像します。
そのきっかけを作ったのが明治のご維新。
よくぞ白人どもの植民地に堕することなく、独立を保ち、なお、世界を相手に戦えるまでに進化したものだと、今さらながら驚嘆せざるを得ません。
その記念すべき明治陛下の誕生日を堂々と祝うことすらままならず、文化の日なる空虚な言葉を弄さねばならずとは、誠に悔しい限りです。
四方(よも)の海 みな同朋(はらから)と 思う世に など波風の 立ちさわぐらむ
明治陛下が日露戦争開戦にあたって詠んだ御製です。
明治陛下は平和を望むという意思を和歌によって明確にしながら、政府の決定に従って日露開戦を許したのでした。
昭和陛下も、太平洋戦争開戦にあたり、おじい様の御製を読上げ、間接的に戦争に反対する意思を明確にされたと伝えられます。
わが国は天皇陛下から民百姓に及ぶまで、戦を望んでいなかったにも関わらず、時代の要請によって、絶望的な総力戦に突入せざるを得ませんでした。
誠に不幸なことです。
しかし、時代の要請は、一般庶民1人1人の幸不幸など勘案しません。
かくてわが国は、どうにもならないみじめな敗戦国と成り果てたのでした。
しかし、わが国はナーバスになることを潔しとせず、経済面において再び世界を脅かす存在にまで上り詰め、少々の良しあしはあるにせよ、現在に至ります。
そのような近現代のわが国の歩みを思うにつけ、わが国の人々は先人の苦労を多とし、志半ばに逝った人々の無念に思いを致し、なお、堂々とわが国はわが国のまま、堂々と世界と渡り合って欲しいと切望せずにはいられません。