断絶

思想・学問

 少子高齢化が進む現代日本において、年金・医療などの福祉政策に強い関心が集まっていますね。
 逃げ切れる世代である現代の高齢者は少しでも豊かになりたいし、逃げ切ることが難しい中年世代はせめて今と同じ程度の年金がほしいと考え、若者は遠い将来のことに希望を見出せないでいます。

 最近の近現代史の研究の流行に、福祉国家の源流は太平洋戦争中の厚生行政にあった、と見る見方があるようです。

 私たちは小中学校の歴史の授業で、8月15日を境に大日本帝国は崩壊し、民主主義と平和を掲げる日本国が生まれ、両者の間には深い溝があるかのように教わりました。
 しかし、そんなことがあるはずもありません。
 昨日まで鬼畜米英だとか天皇陛下万歳とか言っていた日本人が、たかが戦に敗れた程度のことで、がらりと違う人間に変身するなんて、あり得ないことです。
 東條内閣の商工大臣だった岸信介氏は、戦後、総理大臣として強いリーダーシップを発揮しました。
 岸元総理の考える日本社会のあるべき姿は、東條内閣の閣僚であったときも、自ら内閣を組織したときも、それほど変化はしていなかったでしょう。

 さて、そこで、なぜ総力戦の間只中に、帝国政府は厚生省を新設し、国民健康保険や厚生年金保険を作ったのか。
 いずれも今日の社会福祉政策の中核ともいうべき制度で、これを一切廃止しろ、などと言う人は見たことがありません。

 理由は、健兵健民政策。
 兵隊が弱っては総力戦になりません。

 福祉国家という概念が希薄であった時代、日本では総力戦を勝ち抜くために、当時としてはきわめて先進的な福祉国家を築きあげていたのですね。

 東海道新幹線は、戦前の満州を疾駆した夢の超特急あじあ号の開発を元にしています。

 戦前と戦後が断絶しているなんてことはあり得ません。
 人の心や思想・信条がそう簡単に変わるわけもありません。
 記紀万葉の昔から、わが国の人々の特質は連綿と続いているに違いありません。

 しかし、明らかに変節だろう、と思われる事例もたくさんありましたね。
 例えば国会がマッカーサー司令官への感謝を決議したこと。
 負けたからと言って敵の大将に尻尾を振るなど、誇り高い日本民族のよくするところではありますまいに。

 多くの文化人が戦中の戦争協力を反省する声明をだしました。
 しかし小林秀雄「私は馬鹿だから反省などしない」と言って、敗者を悪に仕立て上げる愚を説きました。
 川端康成はただ一言「私はもう日本の美しか詠わない」と嘆息をつきました。
 そのくらいが常識的なところだと思いますがねぇ。

 与謝野晶子は日露戦争のとき反戦的な詩を発表したことで有名ですが、日米開戦の時は、勇ましい歌を詠んでいます。

 水軍の 大尉となりて わが四郎 み軍にゆくたけく戦え

 
未曾有の国難と知れば、戦もやむなしと考えたんでしょうねぇ。
 満州国建国の折には狂喜乱舞した、という話が残っていますから、時代のスタンダードを支持していたんでしょうね。
 あるいは「君死に給ふことなかれ」がさんざんやっつけられたので、平和をあんまり大きな声で主張しないほうがよいと思ったんでしょうか。
  
 昨日まで非国民狩りに血道を上げていた国防婦人会のおばちゃんが、進駐軍が来るや否や今度はその非国民を戦争に協力しなかった立派な人だ、と言って祭り上げているのですよ。
 気持ち悪いですねぇ。
 大東亜共栄圏というお題目が戦後民主主義という空念仏に代わっただけで、お上が押しつける価値観をありがたく押しいただくという根性は少しも変わっていません。

 そういえばもう二十年も前になりますか。
 ソビエト連邦が解体した後、街頭インタヴューで、ある老婆が誇らしげに共産党員証をかかげ、「私は共産党員であることを誇りに思っています。ソビエト万歳」と言いました。
 
 時代から取り残されても、自分の信念を貫く老婆に、私は共感を覚えたのです。

総力戦体制と「福祉国家」――戦時期日本の「社会改革」構想 (シリーズ 戦争の経験を問う)
高岡 裕之
岩波書店

 

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