昔から人間は、文明を発達させると奴隷を使役するようになりました。
それは戦争に敗れた部族の者だったり、遠く異国の地からさらってきた者だったり、あるいは代々穢れた者とされた一団だったりします。
もともとは労働力としての意味合いが濃かったのでしょうが、時代を経るに従って差別とされるようになり、現代では表むき奴隷は存在せず、差別をしてはいけない、ということになっています。
ヨーロッパにおけるユダヤ人差別やジプシー差別。
米国における黒人をはじめとする有色人種差別。
わが国では朝鮮人や中国人、また琉球の民やアイヌの民を差別の対象としました。
さらには部落民。
首都圏にいると分かりませんが、全国各地で部落差別は根強く残っていると聞き及びます。
差別が生まれる一番の理由は、外見や風俗・習慣が自分たちと異なっていること、しかもそれが自分たちに比べて劣っていると信じ込むことにあろうかと思います。
わが国で差別の源泉となっているのは、天皇陛下を頂点とする身分制度の残滓でありましょう。
元から断たなければ差別はなくなることはないと思います。
宮中では大晦日、大儺之儀(だいなのぎ)が行われていました。
古くは追儺(ついな)あるいは鬼やらいといわれ、遠く平安朝のころより朝廷の祓の行事として、旧暦正月の前日、つまり現在の立春の前日、節分の日に行われていたものです。
今で言う節分の豆まきですね。
私も幼い頃親に手をひかれ、「鬼はそと、福はうち」とやりました。
平安神宮の大儺之儀です。
宮中で鬼を先導して外に追い出し、魔を祓う役割を負っていた方相氏ですが、後に鬼そのものと見なされるようになって、朝廷の庭で弓矢に追われ、逃げ回るのが仕事になってしまいました。
このことは示唆に富んでいますね。
鬼を祓う役職だったのに、鬼の役になってしまうとは、やれませんねぇ。
きっと鬼を祓うくらいだから、偉丈夫の、怖ろしい男が務めていたのでしょう。
それが鬼より強く怖ろしい存在に見えたとしても不思議はありません。
私はここにも、差別が生まれる条件が見られると思います。
すなわち、異相。
見た目の怖ろしさですね。
子どもが差別的な言辞を弄する際、見た目の特徴を言いたてることはよく耳にするところです。
チビとかデブとか、目が大きいと出目金とか。
人は見かけによらぬもの、と言います。
しかし私は、多くの場合、人は見かけによるものと考えます。
ヤクザはヤクザのような格好をしていますし、銀行員は堅そうで、フリージャーナリストはラフな格好をしているものです。
制服なんて、まさに外見でどこの学校に所属しているかとか、どんな職業に従事しているかを一目で分からせるためのものです。
まずは外見が第一。
おのれは清潔で常識的な身なりをし、その上で、異相や異装の人を差別しないように気を付けなければなりません。
![]() | 追儺伝SEIJI (BIC COMICS IKKI) |
森田 信吾 | |
小学館 |