私は筒井康隆が書いたものをほとんど読んでいますが、じつは最も気に入っているのは、「虚人たち」のような実験的な文学作品でも、「東海道戦争」のようなコメディ調のSFでも、「時をかける少女」のようなSFジュブナイルでもありません。
筒井康隆としては異色の作品、「旅のラゴス」を最もよしとします。
文明を失った代わりに、様々な超能力を身に付けた人々が住む世界で、ひたすら旅を続けるラゴス。
旅の途中、王になったかと思えば奴隷になったり。
親しい人ができても、彼はその人と別れて旅を続けます。
別れ際、いくらなじられようと、ラゴスは旅を続けざるを得ないのです。
旅を描いた日本文学のなかでは、渋澤龍彦の「高丘親王航海記」にならぶ名作です。
「高丘親王航海記」がどこか乾いた幻想文学だとすれば、「旅のラゴス」は感傷的な要素を含んだ哲学的な作品です。
なにゆに彼は旅を続けるのか。
その旅に目的はあるのか。
よくわからないまま、短編の連作という形で、少年だったラゴスが成長し、老いていきます。
ポイントは、ラゴスの旅ではなく、旅のラゴスであるという点。
人生を旅に喩えるのは古来よく行われてきたことですが、この作品では、じつは「旅のラゴス」ではなく、旅せざるを得ない人々を思わせて秀逸です。
「おくのほそ道」の冒頭、松尾芭蕉は、
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか )とす。
古人も多く旅に死せるあり。
と書いて、旅への熱い思いを書き残しました。
しかしそれは、いわば好きでする旅。
ラゴスの旅は、そんな生易しいものではなく、やむにやまれぬ物なのです。
しかし私は、もう旅を好みません。
学生時代は北は北海道の礼文島から南はインドまで、様々な所を訪れましたが、そこで感じたのは、人間の基本はどこも変わらない、ということ。
飯を食って糞をひねって仕事をして眠る。
この繰り返しは、どこに住む人も同じです。
そうであるならば、私はもう日本を離れたいとも、関東を離れたいとも思いません。
時折京都などに出かけますが、我が家こそが居心地の良いスウィート・ホームであることを実感するためのようなもの。
その私にして、不思議な感銘を受ける作品なのです。
![]() | 旅のラゴス (新潮文庫) |
筒井 康隆 | |
新潮社 |
![]() | 高丘親王航海記 (文春文庫) |
澁澤 龍彦 | |
文藝春秋 |
![]() | おくのほそ道(全) (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス) |
角川書店 | |
角川書店 |
![]() | 東海道戦争 (中公文庫) |
筒井 康隆 | |
中央公論社 |
![]() | 虚人たち (中公文庫) |
筒井 康隆 | |
中央公論社 |
![]() | 時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫) |
筒井 康隆 | |
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